智

2014/02/21

「建長寺 高井総長のお話が聞きたい!③」

『建長寺』高井正俊総長さまのお話、

>>第二回では「鎌倉仏教」についてのお話を伺いました。
鎌倉時代は、サムライの活躍によって"自分たちは力を持っている"と目覚めた民衆が「人間らしく」成長。仏教も浸透していった大事な時代だと‥
お話を伺っていて、なんだかワクワクしてきました。

さていよいよこの後お話は
建長寺の宗派である「禅」について、入っていきます。

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〜建長寺 高井和尚様のお話が聞きたい!③禅って何?の巻(②よりつづく)

ボンズくんチーム(以下B) 『日常生活』というのは、それまでなかったということですか?

高井和尚さま(以下T) そうです。朝起きたら顔を洗う、ご飯を食べる時はどうするか、などなど犬や猫と違う、"人間として"どういうふうに1日を過ごしたらよいのか、を「教え」として基礎を作ったのが禅宗です。

B 禅宗というのは、もとは中国で生まれた宗派ですよね。

T 禅宗のお寺の中の生活は、ある一定のルールで動いています。大事なのは、坐禅をすることではありません。一日一日をどういう風に過ごしていったら気持ちのいい生活ができますか?ということ。 
「日々是好日」、「一日作(な)さざれば一日食らわず」など 『過ごし方』が大事だと禅の言葉にも表れている。
長い意味では、禅宗は中国から伝わり、日本で確立しました。

B 武士たちに歓迎されて、育っていった‥

T 北条時頼さんが建長寺を作った時、  お寺の内側は中国だったといわれています。 中国語をしゃべっていた。中国そのままのやり方で。
東福寺(奈良)の開山など、貴族の間でも最初に禅を導入して理解ある貴族が支持したのは、日本にはなかった「新しい生き方」を定着させたかったから。その基地がお寺でした。
学問、医学、音楽も。お寺の中で熟成される。
日本中から学びにくる。お金のある人たち、日本のエリート。 地方のサムライの次男など、建長寺に行って勉強しよう〜と。 ゆくゆくはリーダーを養成する場所でした。

B 建長寺も大学のような場だったですね。

T清規(しんぎ)」という言葉があるのですが、 一日のルールを決めたものです。
「暮らし方」を文章にして、ルール集を作って教えていく。

B 清規‥知らなかった言葉です。

T 坐禅の仕方は本にまとめられて「坐禅儀(ざぜんぎ)」といいます。
生活は「清規」。清規をもとにしてお寺で生活していきます。  そして学んだものを地方へ持って帰ったことで、日本人の精神、生活文化が上がっていった。

B なるほど

T 諸国に禅宗が広がった意味はここにあるかもしれません。
禅宗は、あまりお経のことは言いません。身をもって体得していくことが支持されました。
他の宗派だと、例えば日蓮宗は法華経をとても大事にしています。 法華経はフルパワーを身につけるというもので、人を元気づける。


写真(建長寺、国宝の梵鐘)

B 禅宗は、坐禅をして‥

T 「坐禅」なんて、面白かったと思いますよ。誰でもできる。
特に曹洞宗はもっぱら坐禅。

B 武士たちに歓迎されて立派なお寺も作られた禅ですが、鎌倉時代の後は幕府の場所も移っていったので、江戸時代などは、鎌倉はさびれていたのでしょうか?

T 明治時代以降、江戸時代というのは否定されがち(=何もしてくれなかったというイメージ)ですけれど、実際は建長寺の山門を新しくしたのも、お地蔵さまの建物も、建長寺復興してくれたのは江戸幕府です。

B 徳川幕府の力は鎌倉にも‥

T 幕府は八幡さまのためにも随分尽くしていました。
東慶寺にも。(*徳川秀忠の娘千姫が伽藍を再建したり、その養女が入山して縁切り法を確立させたりしています) 建長寺の唐門は江(ごう)の(霊屋みたまやの門として増上寺に建立されたもの)。
臨済宗の僧侶、大覚禅師の大覚派、金地院崇伝(こんちいんすうでん)は、徳川の知恵袋として活躍しましたね。

B お寺のお話からはちょっと離れるのですが、 江戸時代に花開いた歌舞伎は鎌倉と縁が深く、 鎌倉時代が描かれていることも、場面で鎌倉が登場することも多いですね。
弁天小僧の「知らざあ〜」のセリフは雪ノ下(浜松屋の場)で。 弁天小僧が走り回った屋根は、極楽寺(極楽寺山門の場)、最後の白波五人男が勢揃いする場面は稲瀬川(稲瀬川勢揃いの場)。

T 歌舞伎に鎌倉時代がよく登場するというのは、当時の江戸時代を舞台にして描くと、生々しくなってしまうということがあったのでしょうね。
それから江戸時代の鎌倉は、江ノ島を代表としてレジャーとして、旅に来たりお詣りしたりする場所になって賑わっていた。舞台設定として多くの人の関心を惹き付けたと思います。

B 江戸時代も、鎌倉は人がたくさん訪れる場所だったのですね。

T 鎌倉というのは、何となく人が来る〜と思いきや、 何となく人が来るのではなく、「吸引力」があるからではないでしょうか。これは今も変わらないことだと思います。

B『鎌倉の吸引力』
鎌倉のことを考える時に、キーワードになりそうですね。

T あ、それから最近ちょっと気になっていること。鎌倉には年間1800万人の人が来る。強力な地場(磁場)があるけれど、 鎌倉はそもそも『原点』だったんです。
鎌倉武士が結集して、ここから日本全国に散って行った。日本国中のふるさとだった。いろいろな時代があって、目に見えなくなっているけれど、皆サムライのルーツは鎌倉にあります。
だから、ご先祖さまを辿ると鎌倉を向いている。道もそう。 鎌倉街道。人がそこを通ってつながっています。地方の守護・地頭は、鎌倉から派遣されました。
建長寺、円覚寺はお寺の本山で、修行道場。地方に展開しています。みんな鎌倉とつながっている。現在形でも日本中、全国とつながっている。
例えば、別所というところは「信州の鎌倉」と呼ばれます。 これは雰囲気だけのことではなく、温泉を開いたのは北条氏だから(時宗に近い人が行っている)です。
鎌倉の吸引力は、ただの風光明媚ではない。

B『鎌倉の吸引力』の源は‥

T 人を吸い寄せる"魔力"ではなく、文化的歴史的根拠があるはずです。
表立っていわれていないけれど、実はそう。 そして今でも、大事なものを発信していると思っています。 磁力は衰えているかもしれないけれど、
こういう考え方は大事にしておいた方がいいのかなと。

B 「いざ鎌倉に根拠あり!」ですね。

〜そんな風に声にしてみると、またワクワクしてきます。伺いたいことはまだまだ尽きないけれど、 そろそろお時間も予定をオーバーしてきました。〜

B では最後に...高井和尚さまの夢はありますか?
T ないない(笑)、「なるようになる」

〜最後に『禅』の悟りのような言葉をいただき
余韻を残しながらお開きとなりました。
高井和尚さま、どうもありがとうございました!!〜


最後にボンズくんと高井総長さまの2ショット写真撮影。
そして全員で記念撮影。お土産に、建長寺の本をいただきました。玄関に向かうと、そこには吉田管長さまが。
すかさず吉田管長さまとボンズくんの2ショット写真を撮らせていただきました。

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来た時には降っていた雨がもう上がり、陽が差して清々しい境内です。

高井総長さまと吉田管長さまに見送っていただくというなんとも贅沢をさせていただきながら、建長寺を後にしました。)

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