智

2015/11/18

「覚園寺&明王院 仲田ご住職のお話が聞きたい!③ 『お寺で祈るということ』の巻」

覚園寺と明王院のご住職 仲田昌弘さんと、明王院副住職 仲田晶弘さんに伺ったお話し第三回は、宗教宗派を超えて鎌倉で毎年お祈りする3.11東日本大震災の追悼 復興祈願祭のことについて。そして「祈る」ことそのものへ...

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photo 2011年4月11日の東日本大震災の追悼 復興祈願祭

一昨年の10月6日に、明王院の歴史を見守ってきた境内の大銀杏が台風によって倒れてしまいました。鬼門の方角へ、まるで本堂、観音堂を避けたような倒れ方だったそうです。思い出されるのは2010年3月10日、鶴岡八幡宮の大銀杏倒木...この時、神社の境内に、仏教の僧侶が集まりました。

仲田昌弘ご住職(以下、ご住職)
八幡さまの大銀杏の木が倒れた時は、やっぱり鎌倉のシンボルだから、八幡さまだけじゃなくて、ワレワレも祈らせてほしいと思って言ったんです。仏教会として、"八幡さまの銀杏が倒れた。その株や幹からまた新しい芽が吹くように、シンボルとして大事に育ってくれたらいいな"という気持ちで祈ろうと。

ボンズ・チーム(以下、ボンズ)
そういう時は、鎌倉仏教会のお寺の皆さんにご連絡するのですか?

ご住職:強制はしないんです。こういうことをやりますよ、いいと思ったらどうぞ一緒に参列してくださいと。

ボンズ:それぞれのお寺の有志の方たちで集まられたのですね。

ご住職:そうです。まず、八幡さまの方が受け入れてくださるかどうかだったわけですが、八幡さまは「ありがとうございます」と仰ってくださった。歴史のことをよくわかってらっしゃった上で、今でも「一緒にやってた時期の方がずっと長いですから」っておっしゃいますね*。
*鶴岡八幡宮は、創建時から江戸時代まで「鶴岡八幡宮寺」という名称でした。境内の中には仏教の施設や建物もたくさんあり、歴代の最高責任者は「別当」つまり僧侶が務めていました。

ボンズ:歴史を振り返ると、たしかにそうですね。

ご住職:明治維新の廃仏毀釈*の時に分かれただけで、それまでずっと一緒にやってきた時期の方がずっと長いですし、それで関係が切れたわけでも全くなくて。
*廃仏毀釈は、明治時代に起きた仏教施設の破壊運動。明治政府が天皇を頂点とした新国家体制を強化するため、よりどころとする神道を仏教から切り離そうと布告した「神仏分離令」がきっかけで引き起こされた。

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photo浄光明寺

ご住職:今でも僕らの仲間のお寺の、覚園寺の兄弟のような浄光明寺さんという真言宗泉涌寺派のお寺には、歴代の八幡宮の宮司さまのお墓があります。大伴家(代々、八幡宮の旧神主家は大伴氏)のお墓は、寿福寺と浄光明寺にあって、お施餓鬼*の時には、浄光明寺さんにはいまだに八幡宮さんからの御供物もあるし、八幡宮はお檀家さんとして出席するわけです。ご墓所に行けば、お塔婆も立ててあって、施主鶴岡八幡宮って書いてあるんですよ。

*施餓鬼とは、生前の行いの報いによって死後の世界で"餓鬼"となり、飢えや乾きに苦しんでいる者に飲食物の供物を施し、供養を行う仏教行事。お盆の時期に行われることが多い。

ボンズ:あ、あの笏(しゃく)の形をしているお墓...

仲田晶弘(しょうこう)副住職(以下、晶弘さん)
そう墓碑は、神主さんが持つ笏の形をしていて、鳥居の彫りが入っています。廃仏毀釈で分かれたので、ここから持って行きますね、ということは全くなく、"わかりました。そういう時代の流れでしたら、それに従いますけれど、決して志は変わらないですよ。"といった感じですね。

ボンズ:ケンカして分かれたわけじゃない...

晶弘さん:そうそう

ボンズ:日頃からそういう繋がりがあったために、3.11の後、鎌倉では一緒に祈ろうという気運が生まれたのかもしれないですね...*

*2011年3月11日に起きた東日本大震災。その1ヶ月後の4月11日に、鶴岡八幡宮では神道・仏教・キリスト教の宗教者たちが宗教の壁も宗派の壁も超えて集い、追善供養と復興祈願のお祈りを捧げました。その後も毎年3月11日に、2012年は建長寺で、2013年は雪ノ下教会で、2014年は再び鶴岡八幡宮で行われ、市民もボランティアでお手伝いをしています。

ご住職:祈ることが主なわけ。祈るってことは全部共通している。ただその祈り方が違う。作法とかが違う、それは出てくる。でも祈るってことに対しては皆一緒。宗派が違っても。宗教が違っても。神も仏もキリスト教も。そこを根本に置いていたら、何の抵抗もない。だから3.11の時は、八幡さまが、よし、いいよ、やろう、と言ってくださった。こんなありがたいことないわけ。普通だったらば、八幡さま、いや、お寺?それならお寺でなされよ、キリスト教?キリスト教のところでなされよ...となるわけでしょ。それが八幡さまの一言でもって、いいよ、ってことになったから、あれだけのことができた。

ボンズ:神道、仏教、キリスト教の三つが揃ってのお祈りは今鎌倉だけなのでしょうか...

ご住職:これはすごく大きいこと。意味があると思います。それは、私が(鎌倉仏教会の)会長として声かけたからじゃないんですよ。最初に案を出した若い方たちが動いてくれた。

ボンズ:震災の辛い現実を前に、私たち一人一人はとても無力だと感じていて...そんな時、宗教を超えて皆で心を合わせ、祈る場が生まれたことに、私たち自身もすごく力をいただいたような...前を向く一歩になりました。
宗教の違いだけでなく、宗派による違いの壁を超えるということも、大変だったのではないでしょうか。

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photo 2012年3月11日の東日本大震災の追悼 復興祈願祭ポスター

ご住職:そうですね。例えばその時に撒いた散華(さんげ)は、仏さまをご供養するものだけれど、同じ仏教でも宗派によっては、「うちでは散華はしませんよ」というところもあるんです。ただ歴史をずっと遡っていくと、鎌倉時代には、鎌倉の中で仏教はとても盛んになったわけだけれど、宗派だとかにはとらわれていない。まず祈ることがあって、その後に「いやオレは違うんだ」「こうなんだ」っていろんな宗派が出てきたわけ。そういう風に思ったらいい。

晶弘さん:一番近いイメージが学部ですよね。行った大学に法学部があったり経済学部があったりする。

ボンズ:なるほど

晶弘さん:例えば覚園寺はもともと「四宗兼学」(律・真言・禅・浄土の四宗を学ぶ)の道場で、一つのお寺に入ると、4つの勉強ができた。一つの場所で一つのことしかやらないっていうんじゃなくて、いろんなスペシャリストの人がいて、お互いに研鑽していくという大学のような学問所でしたから。

ご住職:それが宗教会のあり方、姿なんですよ。

ボンズ:まず「祈る」ということから。

ご住職:そう。それはお坊さんたちだけの話じゃなくてね、昔は八幡さまの前でも、お寺の前でも、通る人たちは一礼して通った。自転車に乗っている人たちは降りて。そういう方、今も少しいますけれどね。でも全然そういうことは意にも介さないで通っていく人が多くなっちゃった。

ボンズ:ふだん私たちは、「祈る」ことが少なくなっているのかもしれないですね。

ご住職:やっぱり手を合わせるってことは、感謝ですよね。食事の前に必ずいただきますと手を合わせるでしょ、そのいただきますというのは、まず食物を作ってくれた方、食物の命をいただくこと、それから料理してくれた人に、感謝して「いただきます」と言う。

晶弘さん:そういうことにも宗派はないですね。修行時代の話を皆ですると、同じことで笑えます。すごくありがたいことにお訪ねしたところで大量のものを出していただいた時に、もう人間これ以上食べられないっていうそこからまださらに入るんだっていう経験を皆している(笑)せっかく作っていただいたものに関しては残さずいただく。どうしてもしょうがない時だけは全部もって帰るという風にして。

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photo明王院にて晶弘さん

ご住職:お寺に行くということも、今はこう、花が咲いてるから見にいらっしゃい、それを「観光」ととれば「観光」というんですけれど、だけどお寺の中に入ってくる時は、やはり「祈り」なんですよ。それで祈りが終わった後に、目をやったら、あ、きれいな花が咲いているな、庭が手入れされているな、安堵の気持ちをもらって、自分たちも花を咲かそうとか、自分のまわりをきれいにしようとかっていって帰っていくのが、お寺の役目だったわけ。それが「観光」という言葉。"よく観て、仏さまの光をもらう"。今観光ということばは一般的だけれど、そういうことを忘れられちゃって物見遊山だけじゃね...

ボンズ:「観光」って、そういう意味があったんですか...江戸時代にお伊勢参りをする時とかも「観光」だったのですよね。

ご住職:江戸時代の女性たちは、旅に出ることがほとんどできなかった。丁稚奉公している人たちも、ヒマがなかった。だけどお伊勢さんにお詣りするとか、四国(八十八カ所巡礼)に行くっていうのはおおっぴらにできたわけです。 "よく観て、それぞれの仏さんの光をいただいておいでよ"と言って出されたのが「観光」のはじまりです。それぞれ人によって解釈は違うと思うけれどね。だからお詣りに行った時は、礼をして、帰る時は礼をして帰るわけ。

晶弘さん:だからって、ずっと品行方正じゃなきゃいけないってわけじゃないですよ(笑)もちろん、お花を楽しんでもいいですし、ご飯楽しんで、お酒飲んでも別にいいんですけれど、メインのところはちゃんと。お寺にお詣りに来たというところをちゃんとしておいてくださればいいんじゃないかなと。例えば「十三仏巡り*」などされる時も、お詣りはちゃんとやって、後はお食事の時に、お酒飲んでいいですか?と聞かれたら、千鳥足にならない程度ならいいですと、言ってますね。終わってからもずっとこのまま修行僧のようなつもりで帰ったら困りますよ、って(笑)。

*十三仏とは、死後初七日から三十三回忌までの間に、私たちに審判を下す仏さま。生前に十三仏を巡れば、亡くなった方への追善とともに、自分自身の死後の救済になるといわれています。http://www.myooin.com/13butsu/

ご住職:それが門前町。まわりのお茶屋ですね。お詣りが済んだらどこかで一休みして、その時は何食べてもいいでしょう、何をしてもいいですよって言ったのが、門前町のはじまり。そこで栄えていったわけ。

晶弘さん:それはよく住職と話してますね。ガイドブックには、皆どちらかというと、ここで食べた"ついでに"、立ち寄りどころみたいにお寺があるよっていう風に書いてあるんですが、鎌倉の場合は、逆の紹介の仕方の方が、いいんじゃないのかなと思います。お寺ももっとガイドブックに協力して。それは別にお寺が偉くて、お店がダメということではなくて、お寺にお詣りをして、その後ここに寄るとこういうことがあったり、ここでこういう人に会えたり、こういうものを食べたり...ここでは土地ものを使っているんだよ、という風にした方が、いらっしゃる方も全体のストーリーとして面白いんじゃないかっていう話はしょっちゅうしますね。

ご住職:そうそう。

晶弘さん:お寺は、お詣りの方がいらっしゃった時に、その方たちがちゃんとお詣りできるように、お寺の中をきれいにする。
例えば雪の時もそうですよね。とりあえず溶けるまで待とうなんていう気持ちはあっても、参道、本堂までのこの一本道だけはとりあえずやらなきゃ、よし明日の朝やろうっていう時に、住職が先に済ませていましたけど(笑)

ボンズ:そりゃまずい(笑)

晶弘さん:そういう時は、もう親切な小人がいたことにしようって(笑)
そういう意識はきっと僕らの世代よりももっと上のいわゆるご住職さまの「老僧」と言われる世代の人たちは、本当に強いですね。それはたくさんお詣りの方が来るからとか、いないからとか、そういうことじゃなくて、たった1人でもお詣りする方がいて、帰っていかれる時に、「あああの人のために雪かきしておいてよかった」と言っているのを聞くと、僕なんかスミマセンって(笑)


深いお話も、ご住職と晶弘さんが語られると、とても楽しいものになります!さていよいよ次回は、最終回です。
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photo明王院にてご住職と
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■明王院(飯盛山寛喜寺はんせいざんかんきじ明王院)通称「五大堂」
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真言宗御室(おむろ)派
1235年四代将軍藤原(九条)頼経によって建てられました。
鎌倉幕府の鬼門除けとして祀られた五大明王は、不動を中心に、東に降三世(ごうさんぜ)、西に大威徳(だいいとく)、南に軍荼利(ぐんだり)、北に金剛夜叉(こんごうやしゃ)。護摩法要の時に拝顔できます。

鎌倉市十二所32 電話0467-25-0416
鎌倉駅東口から金沢八景・太刀洗行バス泉水橋下車徒歩4分
拝観時間 特になし
拝観料 無料

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