祈

2013/04/29

「四国八十八カ所霊場巡礼記 @東京① いざ!」

来年2014年は、

平安時代に仏教のすそ野を大きく広げた
空海(弘法大師さま)が *1、四国を巡り歩き、
八十八カ所の霊場を開いたとされる年(815年)から
1200年目を迎えます。*2

この記念すべき節目に、八十八ヶ所霊場の
寺院が協力し、今年から来年にかけて
さまざまなが記念事業が企画されています。

その一つとして、
なかなかお遍路さんに行けない
日本各地の人々のための“お砂踏み*3 が開催。
しかもその際に、ご本尊の木像の仏さまにも
拝顔できる(=出開帳*4)が実現。

八十八体のご本尊が一緒に揃って出開帳となるのは、
実に七十七年ぶりのことです!

東京にも約一週間のご滞在~
1200_12_1

4月18日~25日、東京駅のJPタワーで
『1日で巡るお遍路さん in丸の内』として開催されました!

唐で学んだ空海は
日本に本格的な密教*5を伝え、真言宗を創設。

真言宗は、鎌倉幕府と大変ゆかりの深い宗派であり*6
四国八十八ヶ所は、大きな大きな祈りの舞台。

1200年も受け継がれてきた“祈りのカタチ”を
ギュウウッと濃縮して体験できるこのチャンス。

これを逃せば、次の機会は七十七年後、
いえ1200年後かもしれません。

弘法大師像
 
江戸の元禄時代のお遍路さん。西林寺藏 1690年刊行の版本

…と思い立ったら“いざ、鎌倉”ならぬ“いざ、東京駅”!
“東京のお遍路さん”に出発しました。

 (つづく)

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*1
空海:774年-835年 
「弘法大師」は、
没後921年に醍醐天皇により賜った名=諡号(しごう)
讃岐国(現 香川県)の地方役人“郡司”であった父のもとに生まれる。
大変な勉強家で、京で大学に入り儒教・道教・仏教を学ぶが満足できずに中退。記録には残らないナゾの空白十数年の間に、さらに吉野や四国の山で山岳修行を行ったり、空と海だけを見ながら厳しい修行をつづけたといわれている。804年には、無名の一遣唐使として唐時代の中国に渡り、長安で、当時隆盛であった“中国密教”の第一人者恵果に師事。その後、土木や薬学なども学び、806年に帰国。本格的な密教を身につけた空海は、先に帰国した最澄の天台宗の枠におさまらず、真言宗を開く。(先輩として京で空海をサポートした最澄は、密教に関しては逆に空海に教えを受けている。また最澄は密教を含めた仏教をすべて総合的に体系化しようとしていたことから、立場が異なっていく。)816年に高野山金剛峯寺(こんごうぶじ)が修禅の道場として認められ、のちさらに真言密教の道場として賜った東寺とともに、真言宗の拠り所となった。

弘法大師像
弘法大師 (四国八十八箇所霊場会藏)
四国八十八箇所霊場会HPより

最澄とともに、空海の実践した仏教は、都市部の“国家権力者”だけのものだった奈良時代の仏教(奈良仏教)を、地域的にも心情的にも、広く民衆へ裾野をのばしていく基盤を作ったといえる(平安仏教)。またカリグラファー(書道家)としても天才的で、美文字の能書家“三筆”の一人として、日本文化に与えてきた影響力も、現代までつづいている。

*2
若き空海が四国での修行時代に巡ったゆかりの地を、『四国八十八カ所』の霊場として、後に修行僧がその足跡を辿るようになったことから確立。江戸時代には、庶民も信仰や願掛けから霊場を巡るようになり、その巡礼を“遍路”、巡礼者を“お遍路さん”と呼ぶようになった。お遍路さんの白装束は、どこで倒れても弘法大師のもとへ行けるようにという死装束で、現在のように交通路も開かれていない時代は過酷な道であったことを示しています。

*3
“お砂踏み”とは、
四国八十八カ所霊場それぞれの“お砂”を集め、踏みながらお参りすること。“お砂”を札所と考え、実際にお遍路をしたことと同じご利益があるとされている。ふつう“お砂踏み”は“お砂”と掛け軸のご本尊で行われるため、木像のご本尊が拝顔できる“お砂踏み”は大変貴重な機会。

*4
“出開帳”
いつもは帳とばりが閉じられ拝顔できない仏さまが、一般の人ともご縁を結べるように(=結縁けちえん)特別の機会に、帳を開いて拝顔できるようにすることを“開帳”、ご本尊の仏さまが、お膝元の寺院を離れて、拝顔できるようにすることを“出開帳”という。

*5
「密教」は、文字通りヒミツの仏教で、宇宙の中心とされる大日如来の教え。なかなか姿を顕さず、ふつうの文字や言葉では表現できない、真理そのもの。通常の理解を超えた“仏の悟り(覚り)”を伝えるもの。さらに、その悟りの継承は、師匠が弟子にのみ伝えるヒミツのものだ…という意味も込められている。日本の密教の代表は天台宗と真言宗で、天台宗を「天密」と呼び、真言宗を東寺から「東密」と呼ぶ。源流であるインドの密教は、7世紀半ば、ヒンドゥー教やイスラム教に押されて衰退していた仏教を再興するために、ヒンドゥー教の要素や、古代インドの呪文や呪術を取り込んだ一流派あったと考えられ、中国、日本へ伝わる間にその土地柄に合わせて変容・発展した。
「密教」に対して、お釈迦さまが人々にわかりやすいように説いた仏教を「顕教」と呼ぶ。
「真言」については、巡礼記④に記載。

*6
鎌倉時代、武士の思想や生活にまで
影響を与えた仏教の代表といえば「禅宗」。
一方、庶民の間では、やさしく極楽浄土を説いた「浄土宗」や
「浄土真宗」「日蓮宗」などが人気。
しかし、
源頼朝をはじめ幕府でリーダーとなった人々が、自分たちの
守護仏教として帰依していたのは密教、とくに「真言宗」でした。

Mikkyoposter
↑2011年秋に開催された鎌倉国宝館特別展のポスター

今では神社だけになってしまった“鶴岡八幡宮寺”とともに
鎌倉時代の三大寺社といわれた永福寺ようふくじ(復元中)
勝長寿院(現存せず)や、
覚園寺、明王院、浄明光寺、“極楽寺などが
その代表格です。

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