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2014/10/03

「鎌倉の匠シリーズvol.3 - 鎌倉仏師 大森昭夫氏を訪ねて」

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鎌倉の匠シリーズ - 鎌倉仏師・大森昭夫氏を訪ねて
<第3回> 仏師の仕事


鎌倉の匠シリーズ - 鎌倉仏師・大森昭夫氏を訪ねて。前回のお話で伺ったように、仏像彫刻と云うものは、とても多くの時間と手間をかけた作業の積み重ねで出来上がっていく訳ですが、大森氏はこの膨大な作業にどのような心持ちで向き合い続けていらっしゃるのでしょうか。

今回は大森氏のインタビューでの言葉を中心に、その心髄に触れて頂きたいと思います。






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ー 仏像彫刻っていうのは、そこには祈りというか、仏さんの教えがあるんですね。"法"が流れているから、それを刻まなければならない。
ただ姿かたちとかね、そういうのではないし、芸術が表現する、、たとえば生き方とか感情とかそういう内に湧き上がるものを刻んで、それに人が感動を覚えたりっていう、そういうものでもなくて、、、




ー つまり自己表現ではなく?


ー そう。自分の作品ではないんだよね。拝む人のためのものなんです。


ー では、彫ることはご自身から始まる訳ではなく。。


ー 仏さまを彫ってほしいと頼まれて、はじめて僕の仕事が生まれる訳です。自分から何かを伝えるために像を彫る事はありません。

彫り出す仏さまというのは、私のために働いてくれるものではありません。まずお釈迦様の教えが根本にあって、宗派がいろいろに分かれていてもね、その教えを広く民へ伝えようと一番前で務めているのがお坊さんです。

その僧侶たちが説く仏さまの教えが、人々の心に届いて、各々の人生の惑いや苦しみに和らぎや得心をもたらしてくれるよう、一助となる働きをしてくれるようにと、そう願って仏像っていうのは作られる訳です。


ー 自ら湧きおこった感情からでないとすると、彫るモチベーションというのは、どこから湧いてくるのでしょうか?


ー うー...ん(笑。たとえばね。数年前の夏、地蔵堂の前で長い時間立ち尽くしてる若い二人連れの子を見かけて。そして手を合わせて拝んで泣いてるんだ。供養に来たんだって。そういう時ね、自分の彫ったお地蔵さまの前で泣いてる人の姿を見て、はじめて、"あ、自分の彫った仏さまがこうやって仕事をしてくれてるな"ていう事を感じる訳です。そうすると、工房に戻ってきて、つぎの作品へ制作意欲が湧いてくるんです。

そういうのみると、あ、自分の作品じゃないっていうのが分かるし、ほんと性根入れて、きちっとした仕事しなきゃ駄目だな、って自分に言い聞かせられる訳です。そういう光景見るとね、ほんっと真面目に彫らないと、一生懸命自分の彫ったものに祈ってくれてる人がいるから、僕は中途半端な気持ちじゃ駄目だなって感じたりするんですよ。


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ー これだけ多くの仏像彫刻を制作されている中で、ご自身でこれはと思う会心の作ってあるのでしょうか?


ー 人生でいちばん脂の乗ってたのは40代の頃の仕事だな。いい意味で緊張感が外れたというか、手が慣れて当たり前にできるようになってきた。青森の巨大仏なんかは真面目過ぎちゃって仕事が硬かったですね(笑。

祈りを込められる仕事っていうのは、気力体力が充実してるその頃がいちばんいい時期なんじゃないかな。仏さんに生命力や説得力持たすには、自分の肉体を酷使できる勢いがある時でないと難しいと思います。


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<氏、40代の頃の作品。写真上/青龍寺不動明王 写真下/弥勒菩薩>


ー 仏さまと向き合い続けるというのは、非日常を営み続けるという難行ではありませんか?


ー 僕はね、ノミを置いたら普通の人に戻っていいんだと思う。ただ、ノミを持ったらそれこそ性根を据えて真剣に仏さまに向き合わないと。ただ、向き合うことで、日常の自分の営みも良い方へ向けられるって感じられる事ができる。そのことで自分の人生の良い時間がすこしでも長く続くように思う。

この仕事をして、仏さまと向き合う時間を持てて、僕は、ほんとうに幸せと思う。



(rica)


*第4回は、昨秋 長谷寺で催された大森氏の仏像彫刻教室の生徒さんたちとの作品展を通じて見えてきたものは何か...、をお伝えしたいと思います。


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