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2014/06/01

「鎌倉の匠シリーズ vol.1 - 鎌倉仏師 大森昭夫氏を訪ねて」

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鎌倉と仏像彫刻


鎌倉の地に花開き、時を超えて現代まで受け継がれてきた伝統工芸「鎌倉彫」は、多くの方に知られるところではありますが、この美しい工芸品は、禅の世界から生み出されたものだということはご存知でしょうか。

およそ800年の昔、この地に武士が新たに都を据え、育まれた風土のなかに禅の文化がありました。宋から伝わり届く律と戒を重んじる教えや文化は、武家の気風に合い、この新しい都には盛んに禅寺が建立され、多くの優れた技工・仏師が集まりました。これに、蒙古進来を逃れ来日した中国僧たちがもたらした宋風文化が相まって、鎌倉の地には京の都とは異なる独自の仏教美術が花開きます。こうして生まれた素晴しい仏像彫刻とともに、彼らが制作した卓や香合などの仏具の数々が、後の鎌倉彫への流れを作ったと言われています。ひとつの工芸の中に、鎌倉というこの土地と仏師たちの遥か彼方の結びつきと、その壮大な歴史が垣間みられるところに、鎌倉の古都としての存在感を感じずにはいられません。

そうした時代から遠く時を隔てて、仏像を制作するという事象そのものの機会が少なくなった現在、修復ではなく一から仏像を彫るという仕事に、会社組織でなく唯ひとりで向かい合っていらっしゃる方が鎌倉にお住まいなのだと聞き、ぜひにともとお話を伺う機会を頂きました。


長谷寺美術顧問の仏師・大森昭夫さんのお話です。


鎌倉の匠シリーズ - 鎌倉仏師・大森昭夫氏を訪ねて
<第1回> 大森氏の半生

大森氏の工房がある鎌倉市笛田を訪れました。ごくごく普通の住宅街にあるその工房は、云われないとそこが工房である事も、まして仏像が制作されている場である事など気付かぬような、然り気ない佇まいでした。迎えてくださった大森氏にお会いし、お話を伺った後、その然り気なさがどこから来ていたのか、それは、後から合点することとなります。

大森氏が生まれ育ったのは、山形県鶴岡市です。藤沢周平が出身地である故郷を舞台に、多くの小説に描いた城下町です。そしてまた、出羽三山で知られる修験道の地でもあります。身近を豊かな山林に囲まれ、そして偶然の巡り合わせでありながら、隣家には彫刻家が住まい、その庭先で木っ端や粘土で遊ぶのが日常であった大森氏は、自然に "木" という素材や "彫る" という作業への面白さや楽しさを知り、興味が育まれたと話します。長じて十八を迎える頃、大森氏はその隣人の友人で帰省中であった同郷の宮大工棟梁と出会います。この棟梁の工房では当時、曹洞宗大本山の総持寺(横浜市鶴見区)の仁王像の制作が予定されており、興味があるなら手伝わないかとの誘いを受け、氏は上京して仏像彫刻の世界へ入ることとなります。


働き始めて2年ほどは下働きで、ほとんどノミに触る時間を持つ事も出来なかったといいます。厳しい職人の世界で駆け出しの若造が全く相手にされなかったという苦労も想像に難くありません。特に、大仏建立などの大きなプロジェクトの場合、複数年に渡って多くの職人さんが集まる大事業となります。


− 鳶、土方、左官、大工、この道何十年というベテランの職人さんたちが集まる訳でしょう。彼らからしたら、若いのが何言ってんだって思うよね。それを束ねて、仕事を進めなくちゃならない。信頼して貰うしかないよね。認めて貰うために、そりゃもう必死で足場に上がり続けました。倍じゃ効かない、3倍以上はやらないと。そうやって彼らの力を借りて、それで仕事が成立するんです。


確かに仏像彫刻というと、仏師が独り、ノミを振るっている姿を想像してしまいがちですが、大仏ともなれば、7階建てくらいの建造物を造るのと同じスケールな訳ですから、話しの規模が違います。

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厳しい現場に脱落していく若輩も多い中、自分が続けていられたのは、そうした事も含めてすべて学んでいると思えたこと、何より仏さまを彫るということが、好きで好きで堪らなかったからですよ、と笑う大森氏。


数多くの仏像の修理や制作に携わってきた大森氏が、鎌倉と縁がつながるは40代に入った頃です。仏師としての腕をもっと磨きたいと、これまでの恵まれた環境を投げうって、独立された頃です。1992年長谷寺で、僧職にあった最後の仏師と言われる西村公朝氏が監修し為される、十一面観世音菩薩像の修理に大森氏も参画することになります。この縁を始まりに、そののち、阿弥陀堂丈六阿弥陀如来の大光背制作の依頼を受けたのを機に、居を鎌倉へ移され、1年ほどの間、来る日も来る日も山主(住職のこと)に呆れられるほど、光背の制作に没頭しました。近年、新たに建立された地蔵堂の地蔵菩薩も手掛けられ、現在は、ご自宅の工房で仏像彫刻の教室もされながら、長谷寺へ御納めする如意輪観世音菩薩の制作に取り組んでいらっしゃいます。


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<制作途中の像。奥の白い仏様が1/2スケールの見本型。手前のものが実寸>


数年前、そうして鎌倉で活動されている姿がテレビに流れたときがあります。独立のときもその後も、静かに "頑張れよ" といって送り出してくれたものの、鎌倉へは一度も立ち寄った機会のなかった工房の師匠から突然、電話がかかってきます。 " 声で君だと分かったよ。いやあ、独立してよかったね。作品がよくなったよ。" と。


ー はじめて、褒められた。ほんと、はじめて褒められたんです。それまではねえ、その人を先生と呼べるほどに自分がまだなってないなっていう気持ちがあって、とても呼べなかったけど、それでやっと自分のこころの中で先生と呼べるようになりましたねえ。目の前で会ったら、呼べないけどね、やっぱり。(笑


大森氏がこの電話を受けたのは、この道に入って20余年の月日が経っての事です。その長い年月の間、常に自分に未熟さを見い出し、たゆまず努力を続けるというのは、果てない修行のように思えます。


氏の歩んだ道を伺っていると、それはまるで木に呼ばれ木に招かれ、仏さまを彫り出す以外の道など無かったかのような、それが定であったかのように歩んだ先、惑わずやり続けた道のりが運んだ業であったのではないかと... 。

匠とよばれる人たちの "道" というのは、そういうものなのかもしれない。そう思わされるお話でした。





< rica >


*第2回は工房での実際の制作風景を交えながら、どのようにして仏像は作られていくのかをお伝えします。

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