恵

2014/02/11

「清右衛門のみちくさノート 2月号」

『今月のテーマ:探春のススメ』


立春。
春が立つと書きますが、植物などというものを生業としていますと、なるほど、春ってなあ立つもんだと思って、昔の人の言葉の選び方に感心しきりです。
そう、立つ。ごろんと横になっていたものが、そろそろ朝か、いよいよ起きねばならぬ、まだ体が重いな、いやいやしかし、と逡巡している感じは、我がことのようであり、春により親しみが湧きます。
春は秋のころから密かに準備を進めていて、やっぱり密かに、そろそろと立ち上がろうとして、ぐずぐずとしている...やたらに暖かな日があったと思えば、突如として凍てつく寒さが襲うようなことを繰り返して春になっていきます。

ですからこの時期の春は、目を凝らして見いださない限り、目の前に立ちはだかってはくれません。さよう、立春のころの春とは探すものなのです。


その代表格はなんといっても春の七草でしょう。新暦の七草はまだ時期が早く、草摘みをしようにもくすんだ色をしていたり、地面にへばりついたりしていて、摘むのに少し骨が折れます。七草は旧暦の日取りで探す方が理にかなっているのです。

このごろの草どもは、立春の言葉通りに柔らかな新しい葉や芽ですくと立ち上がろうとしています。せっかく立とうというのを摘むのは殺生なことですが、残らず摘むわけではありませんから勘弁してもらいましょう。こののち4月の後半ごろになり、草がしっかり固くなるまでが草摘みにもっとも適した季節です。七草粥に限らず、お味噌汁の彩りに、おひたしにと、ちょっと青いものが欲しいとき重宝します。

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ほとけのざ(コオニタビラコ) キク科 Lapsana apogonoides
※写真は3月下旬のようす


七草の調和のとれたところは、例えば道端をいくら眺めていてもすべては手に入らないというところです。それは不便といえば不便ですが、一つの場所で一つのものばかり摂ることよりも、少しずついろいろなものを摂ることのほうが身体の調和のためによいのです。
七草のうち、「せり」(セリ)、「ほとけのざ」(コオニタビラコ)は田んぼでないと摘めず、「ごぎょう」(ハハコグサ)、「なずな」(ナズナ)は乾いた畑でないと摘めず、「はこべら」(ハコベ)は湿った畦道に生える、というように、それぞれ生える場所が異なります。
言い換えれば、そういうさまざまな場所が含まれる調和のとれた場所ではじめて七草粥を作ることができます。
※ 「すずな」(カブ)、「すずしろ」(ダイコン)は作物です。


鎌倉で七草粥を作るのは、じつはけっこう骨です。畑や田んぼがほとんどない上に、あったとしても七草が生えているとはかぎりません。
以前、決心をして鎌倉だけで七草を探して七草粥を作ろうとしたことがありました。「すずな」と「すずしろ」はお店で買い、「せり」と「はこべら」は谷戸の湿った場所で見つけました。しかし、残りの3つはなかなか見つからず、いろいろな方の厚意でわずかに一株ずつ摘むことができました。というわけで、鎌倉で七草を摘もうという方は、「なずな」と「ほとけのざ」と「ごぎょう」抜きを覚悟せねばなりません。代わりにミツバやタネツケバナを入れたり、ご自分で小松菜など野菜を作って代用したりするのがいいようです。ないものを探すよりも、その土地で生えるものを摘むのが七草の本質に沿っています。

もうひとつ春を探すと言えば、「探梅」という言葉あります。俳句の季語で、まだ寒い中に梅を求めて歩くさまを示します。紅葉狩りとか、お花見と同じような感じもしますが、それらが満開を楽しむことであるのに対して探梅は「咲くか咲かないか」を探すという点で大きく異なっています。そのため、ちょっとだけ、奥ゆかしくて、満開ではないものを探して歩くというあたり、なんだか人生みたいな感じもする言葉です。

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ウメ バラ科 Prunus mume (荏柄天神にて)


この文章を考えていたら、鎌倉は20年に一度、人によったら40年に一度と言うような大雪に見舞われ、まちは雪国のような吹雪に包まれました。雪というと閉じこもっていることが多いのですが、このたびは意を決して雪見に出かけました。すると、思いのほか暖かく、踏む雪の音も鈍い音程で、軽やかに歩みが進み、すっかり人気のない八幡宮やら鎌倉宮やらを馳せ回り、大いに堪能したのでした。


どちらかと言えば雪と聞くと祖父の出た会津や、盛岡の厳しい凍てついた雪を思い起こします。踏めば甲高い音を立ててきゅっきゅっと鳴り、軒先から風に乗って散って行き、空は鉛色に閉ざされているような雪です。遠くにそびえる岩手山や安達太良山や、その他いくつもの東北の山々を思い出し、吹き渡る風を思い出します。それに比べ、鎌倉の雪は、暖かく、明るい光に溢れていました。


吹雪のなか、いくつもいくつも梅に、蝋梅に、椿を見つけました。椿は自生のものですが、梅や蝋梅は中国の生まれ。美しい庭が数多くある鎌倉には欠かすことのできない花です。吹雪のなか、びっしりと針のような雪の結晶をまとって、芳しい匂いを放っていました。蝋梅に至っては、普段と同じように、少し離れた場所でも香りを感じるほどです。おかげで風邪を引きそうですが、これはなかなか贅沢だな、という気がしています。

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ロウバイ ロウバイ科 Chimonanthus praecox


七草のもととなった「草摘み」は平安時代の貴族の風習で、もちろん、庶民もまた草を摘んで食べていたのでしょうが、庶民の日常を改めて季節の行事として取り入れるのが日本の貴族の習いです。「探梅」もまた、日常とは異なる側面を持った行為です。
誰しも放っておけば、日常に埋没していってしまうものですが、それに抗うかのように、伝統行事は「立ち止まってみては?」「探してみたら?」と問いかけてきます。恐らく先人たちは、日常に埋没することで生まれる倦怠感の毒について知り尽くしていたのに違いありません。
例えば、春を探しに出かけて得られるものが、季節限定のお菓子であったとしても、それが打ち込む楔はきっと、微動だにしないように思われた日常を動かす力になってくれることでしょう。というわけで、まだまだ蒲団のなかでぐずぐずしている春の、襟首をひっ掴んで立ち上がらせに、出かけましょう。


次回はたぶん、スミレについて

(清右衛門)

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