恵

2013/12/28

「清右衛門のみちくさノート 12月号」

『今月のテーマ:落ち葉、散っても錦』


季節は冬至。
1秒の長さは、メートル法で厳密に決まっています。と、いうことは秒の積み重ねである、分も時間も日も月も年も、厳密に決まっているはず。そのはずなのに、どうしてか「ああ、今年は一年はやかった」と誰しも年の瀬にため息をつくものです。あるいは、楽しい夏休みは一瞬で終わったような気がするものですし、退屈な授業は永遠に続くような気がするものです。慌ただしくこなしていた習慣が、気がついてみると何年も続いていたというようなこともあります。このように、人間の時間に対する感覚は恐ろしくいい加減にできています。


ときどき、いい加減でない感覚の人もいて、往々にして一芸に秀でており一目置かれたりします。詩人のゲーテは毎日正確な時刻に散歩したため、近所の人の時計代わりだったそうです。
人間であれば特別なそういう能力を、揃いも揃って身につけているいきものもいます。そう、植物です。特に、樹木。もちろん、秒刻みというわけにはいきませんし、年によって気候が変わるので時間「だけ」を測ろうとすると、あんまり正確ではありません。でも、時間と気候(気温とか雨とか風の強さとか)を読むのに樹木ほど適した存在はありません。


例えば、世界中の時間を示すものがいっぺんに消えてなくなったとしても、ロウバイが咲いたらお正月が来たことが分かります。サクラが咲いたら春が来たことが分かります。そして重要なことは、彼らはそれを「ごめん、寝坊して忘れちゃった」とすっぽかすことがないということです。揃いも揃ってゲーテ並みに几帳面で、ハチ公みたいに義理堅いのです。別に、人間様に義理立てしているわけでは、ないのですけれど。


秋だ秋だと思っていたものが、卒然と「ああ、冬が来る」と思い知ることがあります。それは華やかな紅葉が知らないうちにすべて散っていることであり、畑に降りた霜であり、軒下で張っている薄氷です。今年の鎌倉は、紅葉がことのほか美しく、いつになくたくさんの方が訪れてくださいましたが、嵐が1回、2回と過ぎていって、易々とほとんどの落葉樹を丸坊主にしていきました。空はすっかり明るくなり、澄んだ青を木々の枝が区切っています。


落ち葉はそこらに吹寄せられ、木々についていたころと勝るとも劣らない錦で地面を彩っています。ときどきそこにサザンカやカンツバキが散ったのが混ざったり、春に向けて開いた青青とした葉が混ざったりします。

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イロハモミジ Acer palmatum カエデ科 落葉高木


タンニンの多い落ち葉は茶色、アントシアニンが濃ければ赤、カロテンは黄色。他にもいろいろありますが、落ち葉の色はこの3つとクロロフィルの緑の配合で決まってきます。
初夏に真っ白な花を咲かせて鎌倉の風物詩のひとつとなるマルバウツギは、変幻自在な紅葉も特筆すべきポイントです。日当たりなどの条件で、黄色、赤、オレンジ、茶色、時には紫と、ひとつとして同じ色がありません。

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マルバウツギ Deutzia scabra アジサイ科 落葉低木


葉が落ちて、しんと静まり返った中に、ひときわ凛として咲くヤツデも見逃せません。白い小さな花が玉のようにあつまり、それらがさらに枝先にいくつもついています。鼻を近づけてみると、瑞々しい甘みのある香りがします。たっぷりの蜜は冬場も活動しているアブやハエの仲間の貴重な食糧源です。

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ヤツデ  Fatsia japonica ウコギ科 常緑低木


紅葉がすべて落ちて、ふとんから出るのにとても勇気が要る頃になると、それは凍り付くような寒気の下で気がつかないほどの小さな動きが始まる「春のはじめ」でもあります。
秋は夏と冬を含んでいて、冬もまた秋と春を含んでいます。それらが綾なす色は、一日として同じ日はありません。
年の瀬の喧噪に倦んだら、鎌倉の裏路地や、山道や浜辺へ、知っている色を増やしにお越しください。


来月は、たぶん春の七草について

(清右衛門)

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