2015年11月の記事一覧

2015/11/30

「霜月の精進料理」

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日が暮れるのの速さに、惜秋を感じる今日この頃ですね。浄智寺さんの脇道には山茶花が可憐に花をつけています。たからの庭では色とりどりの落ち葉にしばし見とれる日々です。自然は本当になんと美しいのでしょうか。柚子も沢山取れていますよ。実質的にも"宝"の庭なのです。
さて、今月は晩秋のお料理です。朝夕は寒気がひとしお身にしみるようになりましたので、ほっくりとした味わいで体を癒してあげてください。


1.麦とろ 2.里芋の白味噌煮 3.大根の揚げだし 4.奈良和 5.焼き舞茸と芹の浸し


1.麦とろ
山芋は年中スーパーなどで見かけるので、旬がわからなくなっている方も多いかと思いますが、まさに今が最盛期です。
自然薯をはじめ、長イモ、ツクネイモ、大和芋など様々な種類が出回っていますが、今回はご飯にかけてもだれない大和芋を使いました。強い粘りの成分は"ムチン"です。優れた保水力と粘膜保護力が最近注目を集めていますよね。
とろろ汁には麦飯が定番ですね。米と麦の比率は米4:麦1がよろしいようです。

材料:米500cc、麦125cc、水750cc
大和芋500g、出汁300C、醤油大3・1/2、味醂大1・1/2、青海苔適宜

1)米と麦はそれぞれ洗ってざるにあげておき、分量の水で浸水させて、通常通りに炊き上げ、10分蒸らして天地返ししておきます。
2)出汁に醤油、味醂を加え一煮立ちさせてさましておきます。これが割り下になります。
3)大和芋は皮をむき、おろし金でおろしてさらに当たり鉢に移し、すりこぎで滑らかになるまでよく当たります。すると空気を含んで粘りがよりでてくるわけです。
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4)そこに徐々に割り下を加えつつさらにあたります。
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5)飯茶碗に麦飯を盛り、とろろ汁をかけて上に青海苔を乗せて食べてください。


2.里芋の白味噌煮
里芋も冬に欠かせない根菜ですね。日本ではじゃが芋などよりずっと古くから食べられていて、芋といえば里芋のことだったのです。関東では砂糖と醤油での煮っ転がしが定番ですが、京都ではこの白味噌煮がよく食卓に登ります。粘りが気になる方は、皮をむいたら数分茹でこぼしてから出汁に移して煮てくださいね。

材料:里芋各1個、白味噌100g、出汁1C、味醂大1、塩少々、柚子千切適宜

1)里芋は泥をたわしなどでよく洗い、さっと水からゆでこぼし皮をむきます。一度茹でこぼすと皮がむきやすくなり、またシュウ酸による痒みも軽減されますよ。
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2)1を出汁にいれ、コトコトと煮て柔らかくなったら白味噌と味醂を加えさらに煮ていきます。
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3)最後に味をみて、塩少々を加え調整し、盛り付けたら、柚子の皮をほそーく切って(針柚子といいます)ふわっと天盛して召し上がってください。


3.大根の揚げだし
大根が美味しい季節になってきましたね。この料理は揚げた大根を大根おろしで食べるという江戸料理で、同食材で調理方法を変えたしゃれっけのあるいかにも江戸っ子好みの料理です。料理屋では一度大根をやわらかくゆがいてから、甘辛く味をつけ、それを揚げて大根おろしで食べるんですが、ぐっと簡単なレシピにしました。がっつりごま油の風味を利かせるのがポイントです。
酒のアテにいいですよ。

材料:大根2cmの厚さ各1枚、胡麻油適宜、大根おろし適宜、おろし生姜適宜、醤油適宜

1)大根は2cmの厚さに輪切りにして、さらに拍子木に切って、ごま油でじっくりやわらかくなるまで揚げます。このとき、油の量はそんなにいりません。焼き揚げる感じでどうぞ。
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2)拍子木に切る際出た余った大根をおろし金でおろして水気を軽く切って、醤油を少々かけて(染めおろしといいます)揚げた大根に盛って、さらにおろし生姜ものせ、召し上がってください。冷めてもいけます。
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4.奈良和
ならえと読みます。七つの具がはいっているので「七和え(ななあえ)」がなまって「奈良和(ならえ)」になったようです。徳島の郷土料理で、簡単にいうと煮なますです。面白いのはスダチをぎゅっと絞ること。ご家庭により作り方や材料が微妙に違っていますが、だからこそのマンマの味!現地では御節にも欠かせません。

材料:大根400g、人参50g、蓮根50g、干ししいたけ2枚、蒟蒻1/2枚、油揚げ1枚、出汁昆布の残り適宜、サラダ油適宜、すり白ごま大3
酢60cc、砂糖大3、淡口大1、塩少々、スダチ果汁適宜(調整用)

1)大根、人参、蒟蒻は3cmの長さ、1cm幅、2mmの厚さの短冊に切って、蒟蒻だけ下ゆでします。
2)油揚げは熱湯をかけて油抜きをし、1と同じ程度に切っておきます。
3)干し椎茸は水で戻して細切りしておきます。
4)蓮根は皮をむいて2mmの厚さの銀杏切りにして、酢水に漬けておきます。
5)昆布は細切りにします。
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6)鍋に大根、人参、蓮根を入れ、水から歯ごたえが残る程度に茹でて、ザルにあげておきます。
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7)鍋に油少々を敷き、ゆでた大根、人参、蓮根、昆布をさっと炒めたら、出汁を加えて、煮立ってきたら油揚げと椎茸、蒟蒻を加えさっとまぜて調味します。
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8)スダチ果汁を好みで加えます。この果汁が入ることによって、柑橘系の香りとフレッシュな感じが加わります。
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5.焼き舞茸と芹の浸し
日本料理ではよく椎茸類にたて塩(海水程度の塩水)で下味をつけてから焼いたりして味の凝縮感を出したりします。たて塩に漬けるとただ塩を振るのと違って、まんべんなく塩味が入るので便利ですよ。焼いた舞茸は香ばしくもなり、シャキシャキとした芹の食感の違いも楽しめ、しかも簡単に作れますので、なにか物足りないときの一品に加えてください。

材料:舞茸2パック、芹1/2把、スダチ汁少々
浸し地:出汁150cc、味醂少々、淡口大1

1)舞茸は2~3等分に裂き、立て塩(海水程度の塩水)に10分つけてから焼いて、さらに食べやすい大きさに裂いておきます。
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2)芹はさっと茹でて水に放ち、色止めをしてから軽く絞って3cm程度に切っておきます。
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3)浸し地に1と2を入れ、冷蔵庫で1時間程度寝かせ、盛りつけたら食べるときにスダチを少々絞って食べます。スダチでなくてもレモンや柚子などお好きな旬の柑橘系を使ってください。ほのかな酸味で味がしまります。
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レシピ&原稿:温石会 入江亮子
(北鎌倉たからの庭<旬を楽しむ精進料理> 11月の献立より)

2015/11/18

「覚園寺&明王院 仲田ご住職のお話が聞きたい!③ 『お寺で祈るということ』の巻」

覚園寺と明王院のご住職 仲田昌弘さんと、明王院副住職 仲田晶弘さんに伺ったお話し第三回は、宗教宗派を超えて鎌倉で毎年お祈りする3.11東日本大震災の追悼 復興祈願祭のことについて。そして「祈る」ことそのものへ...

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photo 2011年4月11日の東日本大震災の追悼 復興祈願祭

一昨年の10月6日に、明王院の歴史を見守ってきた境内の大銀杏が台風によって倒れてしまいました。鬼門の方角へ、まるで本堂、観音堂を避けたような倒れ方だったそうです。思い出されるのは2010年3月10日、鶴岡八幡宮の大銀杏倒木...この時、神社の境内に、仏教の僧侶が集まりました。

仲田昌弘ご住職(以下、ご住職)
八幡さまの大銀杏の木が倒れた時は、やっぱり鎌倉のシンボルだから、八幡さまだけじゃなくて、ワレワレも祈らせてほしいと思って言ったんです。仏教会として、"八幡さまの銀杏が倒れた。その株や幹からまた新しい芽が吹くように、シンボルとして大事に育ってくれたらいいな"という気持ちで祈ろうと。

ボンズ・チーム(以下、ボンズ)
そういう時は、鎌倉仏教会のお寺の皆さんにご連絡するのですか?

ご住職:強制はしないんです。こういうことをやりますよ、いいと思ったらどうぞ一緒に参列してくださいと。

ボンズ:それぞれのお寺の有志の方たちで集まられたのですね。

ご住職:そうです。まず、八幡さまの方が受け入れてくださるかどうかだったわけですが、八幡さまは「ありがとうございます」と仰ってくださった。歴史のことをよくわかってらっしゃった上で、今でも「一緒にやってた時期の方がずっと長いですから」っておっしゃいますね*。
*鶴岡八幡宮は、創建時から江戸時代まで「鶴岡八幡宮寺」という名称でした。境内の中には仏教の施設や建物もたくさんあり、歴代の最高責任者は「別当」つまり僧侶が務めていました。

ボンズ:歴史を振り返ると、たしかにそうですね。

ご住職:明治維新の廃仏毀釈*の時に分かれただけで、それまでずっと一緒にやってきた時期の方がずっと長いですし、それで関係が切れたわけでも全くなくて。
*廃仏毀釈は、明治時代に起きた仏教施設の破壊運動。明治政府が天皇を頂点とした新国家体制を強化するため、よりどころとする神道を仏教から切り離そうと布告した「神仏分離令」がきっかけで引き起こされた。

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photo浄光明寺

ご住職:今でも僕らの仲間のお寺の、覚園寺の兄弟のような浄光明寺さんという真言宗泉涌寺派のお寺には、歴代の八幡宮の宮司さまのお墓があります。大伴家(代々、八幡宮の旧神主家は大伴氏)のお墓は、寿福寺と浄光明寺にあって、お施餓鬼*の時には、浄光明寺さんにはいまだに八幡宮さんからの御供物もあるし、八幡宮はお檀家さんとして出席するわけです。ご墓所に行けば、お塔婆も立ててあって、施主鶴岡八幡宮って書いてあるんですよ。

*施餓鬼とは、生前の行いの報いによって死後の世界で"餓鬼"となり、飢えや乾きに苦しんでいる者に飲食物の供物を施し、供養を行う仏教行事。お盆の時期に行われることが多い。

ボンズ:あ、あの笏(しゃく)の形をしているお墓...

仲田晶弘(しょうこう)副住職(以下、晶弘さん)
そう墓碑は、神主さんが持つ笏の形をしていて、鳥居の彫りが入っています。廃仏毀釈で分かれたので、ここから持って行きますね、ということは全くなく、"わかりました。そういう時代の流れでしたら、それに従いますけれど、決して志は変わらないですよ。"といった感じですね。

ボンズ:ケンカして分かれたわけじゃない...

晶弘さん:そうそう

ボンズ:日頃からそういう繋がりがあったために、3.11の後、鎌倉では一緒に祈ろうという気運が生まれたのかもしれないですね...*

*2011年3月11日に起きた東日本大震災。その1ヶ月後の4月11日に、鶴岡八幡宮では神道・仏教・キリスト教の宗教者たちが宗教の壁も宗派の壁も超えて集い、追善供養と復興祈願のお祈りを捧げました。その後も毎年3月11日に、2012年は建長寺で、2013年は雪ノ下教会で、2014年は再び鶴岡八幡宮で行われ、市民もボランティアでお手伝いをしています。

ご住職:祈ることが主なわけ。祈るってことは全部共通している。ただその祈り方が違う。作法とかが違う、それは出てくる。でも祈るってことに対しては皆一緒。宗派が違っても。宗教が違っても。神も仏もキリスト教も。そこを根本に置いていたら、何の抵抗もない。だから3.11の時は、八幡さまが、よし、いいよ、やろう、と言ってくださった。こんなありがたいことないわけ。普通だったらば、八幡さま、いや、お寺?それならお寺でなされよ、キリスト教?キリスト教のところでなされよ...となるわけでしょ。それが八幡さまの一言でもって、いいよ、ってことになったから、あれだけのことができた。

ボンズ:神道、仏教、キリスト教の三つが揃ってのお祈りは今鎌倉だけなのでしょうか...

ご住職:これはすごく大きいこと。意味があると思います。それは、私が(鎌倉仏教会の)会長として声かけたからじゃないんですよ。最初に案を出した若い方たちが動いてくれた。

ボンズ:震災の辛い現実を前に、私たち一人一人はとても無力だと感じていて...そんな時、宗教を超えて皆で心を合わせ、祈る場が生まれたことに、私たち自身もすごく力をいただいたような...前を向く一歩になりました。
宗教の違いだけでなく、宗派による違いの壁を超えるということも、大変だったのではないでしょうか。

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photo 2012年3月11日の東日本大震災の追悼 復興祈願祭ポスター

ご住職:そうですね。例えばその時に撒いた散華(さんげ)は、仏さまをご供養するものだけれど、同じ仏教でも宗派によっては、「うちでは散華はしませんよ」というところもあるんです。ただ歴史をずっと遡っていくと、鎌倉時代には、鎌倉の中で仏教はとても盛んになったわけだけれど、宗派だとかにはとらわれていない。まず祈ることがあって、その後に「いやオレは違うんだ」「こうなんだ」っていろんな宗派が出てきたわけ。そういう風に思ったらいい。

晶弘さん:一番近いイメージが学部ですよね。行った大学に法学部があったり経済学部があったりする。

ボンズ:なるほど

晶弘さん:例えば覚園寺はもともと「四宗兼学」(律・真言・禅・浄土の四宗を学ぶ)の道場で、一つのお寺に入ると、4つの勉強ができた。一つの場所で一つのことしかやらないっていうんじゃなくて、いろんなスペシャリストの人がいて、お互いに研鑽していくという大学のような学問所でしたから。

ご住職:それが宗教会のあり方、姿なんですよ。

ボンズ:まず「祈る」ということから。

ご住職:そう。それはお坊さんたちだけの話じゃなくてね、昔は八幡さまの前でも、お寺の前でも、通る人たちは一礼して通った。自転車に乗っている人たちは降りて。そういう方、今も少しいますけれどね。でも全然そういうことは意にも介さないで通っていく人が多くなっちゃった。

ボンズ:ふだん私たちは、「祈る」ことが少なくなっているのかもしれないですね。

ご住職:やっぱり手を合わせるってことは、感謝ですよね。食事の前に必ずいただきますと手を合わせるでしょ、そのいただきますというのは、まず食物を作ってくれた方、食物の命をいただくこと、それから料理してくれた人に、感謝して「いただきます」と言う。

晶弘さん:そういうことにも宗派はないですね。修行時代の話を皆ですると、同じことで笑えます。すごくありがたいことにお訪ねしたところで大量のものを出していただいた時に、もう人間これ以上食べられないっていうそこからまださらに入るんだっていう経験を皆している(笑)せっかく作っていただいたものに関しては残さずいただく。どうしてもしょうがない時だけは全部もって帰るという風にして。

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photo明王院にて晶弘さん

ご住職:お寺に行くということも、今はこう、花が咲いてるから見にいらっしゃい、それを「観光」ととれば「観光」というんですけれど、だけどお寺の中に入ってくる時は、やはり「祈り」なんですよ。それで祈りが終わった後に、目をやったら、あ、きれいな花が咲いているな、庭が手入れされているな、安堵の気持ちをもらって、自分たちも花を咲かそうとか、自分のまわりをきれいにしようとかっていって帰っていくのが、お寺の役目だったわけ。それが「観光」という言葉。"よく観て、仏さまの光をもらう"。今観光ということばは一般的だけれど、そういうことを忘れられちゃって物見遊山だけじゃね...

ボンズ:「観光」って、そういう意味があったんですか...江戸時代にお伊勢参りをする時とかも「観光」だったのですよね。

ご住職:江戸時代の女性たちは、旅に出ることがほとんどできなかった。丁稚奉公している人たちも、ヒマがなかった。だけどお伊勢さんにお詣りするとか、四国(八十八カ所巡礼)に行くっていうのはおおっぴらにできたわけです。 "よく観て、それぞれの仏さんの光をいただいておいでよ"と言って出されたのが「観光」のはじまりです。それぞれ人によって解釈は違うと思うけれどね。だからお詣りに行った時は、礼をして、帰る時は礼をして帰るわけ。

晶弘さん:だからって、ずっと品行方正じゃなきゃいけないってわけじゃないですよ(笑)もちろん、お花を楽しんでもいいですし、ご飯楽しんで、お酒飲んでも別にいいんですけれど、メインのところはちゃんと。お寺にお詣りに来たというところをちゃんとしておいてくださればいいんじゃないかなと。例えば「十三仏巡り*」などされる時も、お詣りはちゃんとやって、後はお食事の時に、お酒飲んでいいですか?と聞かれたら、千鳥足にならない程度ならいいですと、言ってますね。終わってからもずっとこのまま修行僧のようなつもりで帰ったら困りますよ、って(笑)。

*十三仏とは、死後初七日から三十三回忌までの間に、私たちに審判を下す仏さま。生前に十三仏を巡れば、亡くなった方への追善とともに、自分自身の死後の救済になるといわれています。http://www.myooin.com/13butsu/

ご住職:それが門前町。まわりのお茶屋ですね。お詣りが済んだらどこかで一休みして、その時は何食べてもいいでしょう、何をしてもいいですよって言ったのが、門前町のはじまり。そこで栄えていったわけ。

晶弘さん:それはよく住職と話してますね。ガイドブックには、皆どちらかというと、ここで食べた"ついでに"、立ち寄りどころみたいにお寺があるよっていう風に書いてあるんですが、鎌倉の場合は、逆の紹介の仕方の方が、いいんじゃないのかなと思います。お寺ももっとガイドブックに協力して。それは別にお寺が偉くて、お店がダメということではなくて、お寺にお詣りをして、その後ここに寄るとこういうことがあったり、ここでこういう人に会えたり、こういうものを食べたり...ここでは土地ものを使っているんだよ、という風にした方が、いらっしゃる方も全体のストーリーとして面白いんじゃないかっていう話はしょっちゅうしますね。

ご住職:そうそう。

晶弘さん:お寺は、お詣りの方がいらっしゃった時に、その方たちがちゃんとお詣りできるように、お寺の中をきれいにする。
例えば雪の時もそうですよね。とりあえず溶けるまで待とうなんていう気持ちはあっても、参道、本堂までのこの一本道だけはとりあえずやらなきゃ、よし明日の朝やろうっていう時に、住職が先に済ませていましたけど(笑)

ボンズ:そりゃまずい(笑)

晶弘さん:そういう時は、もう親切な小人がいたことにしようって(笑)
そういう意識はきっと僕らの世代よりももっと上のいわゆるご住職さまの「老僧」と言われる世代の人たちは、本当に強いですね。それはたくさんお詣りの方が来るからとか、いないからとか、そういうことじゃなくて、たった1人でもお詣りする方がいて、帰っていかれる時に、「あああの人のために雪かきしておいてよかった」と言っているのを聞くと、僕なんかスミマセンって(笑)


深いお話も、ご住職と晶弘さんが語られると、とても楽しいものになります!さていよいよ次回は、最終回です。
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photo明王院にてご住職と
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■明王院(飯盛山寛喜寺はんせいざんかんきじ明王院)通称「五大堂」
http://www.myooin.com/
https://www.facebook.com/myooin
真言宗御室(おむろ)派
1235年四代将軍藤原(九条)頼経によって建てられました。
鎌倉幕府の鬼門除けとして祀られた五大明王は、不動を中心に、東に降三世(ごうさんぜ)、西に大威徳(だいいとく)、南に軍荼利(ぐんだり)、北に金剛夜叉(こんごうやしゃ)。護摩法要の時に拝顔できます。

鎌倉市十二所32 電話0467-25-0416
鎌倉駅東口から金沢八景・太刀洗行バス泉水橋下車徒歩4分
拝観時間 特になし
拝観料 無料

2015/11/10

「05 実りの秋に、アケビまんじゅう」

実りの秋。鎌倉の野山を歩くと、
ドングリや、栗、柿、アケビ、カラスウリ、ヤマブドウ...
秋色いろいろな木の実・草の実が、目に飛び込んでくる。

足元にコロコロ転がっていたり、薮の奥で風に揺れていたり
ふと見上げた枝々に たわわにぶら下がっていたりして
とても楽しい。

どの実にも、「これまでの時間」がギュッと
詰まっていて、風格がある。

酷暑も雨風も乗り越えて
「がんばったね」と声を掛けたくなるような
重みがある。

手の中で握りしめたくなるような
ありがたみがある。

見つけた瞬間、どこか報われたような
ごほうびをもらったような、
わくわくした気持ちになる。

心が動いたら、今なら
サッとスマホやカメラを取り出し、写真に撮ってSNSへ。
感動を人に伝えたり、自分で思い返したり。

でも、そんなメディアがなかった昔にも、

長嶋家秋まんじゅう.jpg

まんじゅうはあった。

「長嶋家」の秋まんじゅうを見ていると
実りの秋の感動が、まんじゅうを通して伝わってくる。
「まんじゅうもメディア」なのだという気がしてくる。

まあるい本来の形を生かしながら、
形態模写や「見立て」によって
まんじゅうは自由演技の幅を広げる。

視覚的な記憶に、
「おいしい」という味覚体験が結びついて
感動は増幅されていく...

そして、
鎌倉の野山の多くは、戦後の乱開発の波から
「風致保存会」を中心に市民の手で守られ、
手入れされてきた里山であることを
忘れないようにしなくては...

鎌倉の里山が、これからもつづいていきますように。
秋まんじゅうに祈りを込めて、
いただきます〜!


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写真は
栗饅頭、あけびまんじゅう、抹茶饅頭、野うさぎ
定番の「野うさぎ」以外はみな、秋の季節限定
1921 年(大正10年) から続く長嶋家では、他にも
柿を使った薯蕷饅頭「旬柿」や、樹の実入り「樹の実饅頭」など
がある。

「長嶋家」
鎌倉市小町1-5-8
0467-22-1369
am10:00-pm6:00 水休 


photo&文 中尾京子

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