2014年6月の記事一覧

2014/06/23

「そして、奈良での修行は続く・・の巻」

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6月1日まで、約2カ月に渡りお世話になった奈良国立博物館「鎌倉の仏像展」の特設ブース。
会期中は、たくさんの方に足をとめていただき、手にとっていただき、ボンズくんにとっては大変にありがたい経験となりました。


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奈良博ミュージアムショップの皆様にも良くしていただきました。
ありがとうございました!

さて、いよいよ鎌倉へ帰り支度を始めようとしていたその時、一人のステキなお坊様が話しかけて来て下さいました。
「ボンズくん、もう鎌倉に帰らはるの?」
はい、奈良での修行期間はそろそろ終わりますので、、。
「お母さんが、もう少し奈良で修行さしてもらいなさい、って言うてはるよ?」

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なんと、、このお坊様こそ、興福寺さんの有名な波乗坊@hajyoubouさん。
展示の会期が終わったあと、そのまま奈良の興福寺さんに面倒みていただくという有り難いお話があっという間に決まったんです。

こりゃまたビックリ!
奈良の興福寺さんと言えば、1300年を越す歴史があり、阿修羅像をはじめ国宝もたくさんお持ちのそれはそれは立派なお寺さんです。
そこに鎌倉ボンスくんを置いていただけるなんて、・・ほんとにいいんでしょうか?


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話はとんとん拍子にまとまり、奈良博の事務所で待っていたボンズくんを波乗坊さんが迎えに来てくださいました。
初めて見る、奈良の大きなお寺さん。

キョロキョロしていると、「じゃあ、最初は裏部屋のお掃除担当ね」とお仕事をいただきました。
はい、ガンバリます!!

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興福寺さんの宗派は、西の京にある薬師寺さんと同じ法相宗(ほっそうしゅう)で、鎌倉にはお寺がありません。
「お経やお祈りのお作法も違うので、少しづつ勉強さしてもろうてます。」

・・って、ボンズくん。早くも奈良弁になってきましたよ!?
残念ながら奈良には海がないんだけど、そのうち波乗坊さんに関西の海を見せてもらえるかもしれないし、、奈良の修行がんばってね!!

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次のお仕事は廊下の雑巾がけかな??
奈良のボンズくん、続報をお楽しみに!!


そして、奈良博のミュージアムショップ前で楽しんでいただいた顔出しパネルのボンズくんは、無事に鎌倉に戻って参りました。

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さて、このボンズくんの修行場所を大々的に募集中です!
面倒みてもいいよ、という太っ腹なお寺さんからのオファーをお待ちしております!


※一部写真は、興福寺 波乗坊さん(@hajyoubou)、二代目 鳩槃荼(くばんだ)さん(‏@kubanda2)のツイートからお借りしました。ありがとうございました!

2014/06/18

「水無月の精進料理」

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今年ももう折り返し地点、1年の前半が過ぎようとしています。早いですね。6月を水無月とも言いますが、これは「水の月」という意味。梅雨でうっとうしい毎日ですが、たからの庭の樹木たちが、雨にぬれてはつらつとしている姿を見ると、なるほど水の月。水分補給されてうれしそうです。
また月末には夏越の祓えが行われます。茅の輪をくぐり、紙の人形(ひとがた)を小川に流し、半年の罪や穢れを祓い、残り半年の無病息災を祈願する神事です。
皆様の下半期も無事でありますようにとの思いをこめての献立にいたしました。この時期の茶菓としてもかかせない、水無月も作りましたので、ぜひご家庭でもお作りください。

1.天豆ご飯 2.赤茄子(トマト)のすり流し 3.賀茂茄子の鼈甲(べっこう)餡 4.みずの炒め煮 5.水無月


1.天豆ご飯
青々しくぽっちゃりとした姿の蚕豆は目にもご馳走ですね。必ず買い求めるときは、さやつきを買ってください。さやに包まれて鮮度が保持されているからです。逆に言うと空気に触れるやどんどん劣化していきます。なので使用する寸前にむき始めます。これ、絶対守ってください。
たからの庭では羽釜で炊きますが、一般には電気炊飯器で炊かれることが多いでしょう。その場合は、ピーという炊きあがりアラームで蓋をあけ、お豆を入れて蒸らしの余熱で火を入れます。
豆を入れる分量は、お米の30%を目安にしてください。また豆に対しての水加減はいりません。今、まさに出盛りです。どうぞ美味しく作ってくださいね。

材料:米2・1/2C、天豆(正味)150cc程度、塩小1/3、淡口小1/2、水出汁585CC

1)米は研いでザルにあげておく。
2)天豆はさやからだし、皮を剥いておく。
3)炊飯鍋に米をいれ、分量の水と調味料を加え、15分以上浸水させてから火にかけ、沸騰したら天豆を入れて炊き上げる
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4)10分蒸らし、天地返しをして盛り付ける。


2.赤茄子(トマト)のすり流し
赤茄子とはトマトの和名。なかなか風流じゃないですか。まっかかな路地ものの完熟トマトを皮ごとミキサーにかけて作る超簡単なスープです。一度火にかけて青臭みをとり、それから冷やしてお出しください。暑さで食欲がないときもすっと体に染み渡り、元気がでる一品です。温度により、味わいも違ってくるので、必ず提供する直前に味見をして、レモン汁などで調整してください。吸い口は紫蘇大葉にしましたが、木の芽、青柚子、万能ネギの小口きりなどでもOKです。

材料:赤茄子500g、砂糖大1~2、蜂蜜大1、紫蘇大葉2~3枚程度
(酸味足りなければレモン汁大1程度)

1)トマトは皮ごと乱切りし、ミキサーへかける。
2)1を鍋に移し、砂糖を加え火にかけ、沸騰したところでアクを引き、火を止める。荒熱が取れたところで蜂蜜を加え、冷蔵庫で冷やす。
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3)大葉は千切りし、水に放っておく。
4)2にレモン汁などで味調整を行ってから器にもり、3を天盛する。


3.賀茂茄子の鼈甲(べっこう)餡
賀茂茄子は皮も柔らかく、口に入れるとトロッと溶ける感覚がたまらない、夏食材の王様ですね。油との相性がいいので、新鮮なサラダ油で素揚げして、鼈甲餡をかけました。
茄子の紫色をきれいに保つには油の温度が大事です。低いと退色してしまい、またべちょっとした仕上がりになります。175~180度程度の高温で揚げてください。
添えた野菜は今回は長いもを使いましたが、手がかゆくならないようにポリエチレンの袋に入れて、上から叩いてつぶしました。

材料:賀茂茄子(大)各1/6個
長いも5cm、茗荷1本、卸しょうが小1、もみ海苔1/2枚分
鼈甲餡:出汁1C、醤油・味醂各大1、片栗粉大1(倍の水で溶いておく)


1)賀茂茄子はヘタを落とし、櫛形に6等分し、さらにその1片を3等分する。
2)180度の油で賀茂茄子を揚げ、軽く塩を振っておく1406syoku03.jpg
3)長芋は皮をむき、ビニール袋に入れて、包丁の峰で叩いておく。
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4)茗荷は縦1/2に切ってから、3cm程度の長さに細く斜め切りにし、水に放っておく。
5)出汁を温め調味し、一旦火を消してから、水溶き片栗粉を加え、よくかき混ぜてから火をつけなおし、しっかりとろみをつける。
6)揚げた賀茂茄子に餡をかけ、山芋、茗荷、卸生姜を乗せ、もみ海苔をふる。


4.みずの炒め煮
みずは別名「ウワバミソウ」。アクもあまりなく、しゃきっとした歯ざわりなのに、ぬるっとする食感がおしろい初夏の山菜です。火を入れても退色しにくいのも重宝ですね。今回は茎を食べましたが、葉の付け根のところに秋にできる実がまた美味しく、よく道の駅などで塩漬けで売っていますので、今度買ってみてください。
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材料:みず1袋(300g程度),つき蒟蒻1袋、油上1枚
ごま油大1程度、出汁大2、酒大1、味醂大1、醤油大2、七味(好みで)

1)つき蒟蒻は洗って3cmの長さに切ってゆがいておく。
2)油揚げはキッチンペーパーで挟み余分な油をすわせてから3cmの長さ、2mmの幅に切っておく。
3)みずは洗って葉のほうから薄く皮をむき、熱湯に塩一つまみで2~3分ゆがいて、水にとって色止めしてから3cmの長さに切っておく。
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4)鍋で蒟蒻だけを先にからいりし、醤油小1/2程度(分量外)を絡めてから、胡麻油をしき、みずと油揚げを加え炒め、出汁大2、酒大1を入れて少し煮てから調味し、汁気がなくなるまで炒め上げる。


5.水無月
現代ではピンとこないかも知れませんが、かつては山の穴奥に冬の氷を貯蔵して、この時期に氷室守が宮中へ運んだそうです。お菓子の水無月は、そんな氷室の氷を象ったお菓子です。上に乗っている小豆(今回は大納言のぬれ甘納豆)の赤は邪気を祓う色とされています。関東ではここ数年、扱っている和菓子やさんが増えましたね。
流し缶にクッキングシートを敷いてから生地を流すと取り出しやすく便利です。温かいと粘りがでて切りにくいので、必ず冷ましてから、包丁は1カットごとに水にぬらして切ってください。甘みを抑えてあるので、大きくてもぺろっと召し上がれますよ。

材料:小麦粉60g、白玉粉・葛粉各30g、砂糖100g、水250CC、甘納豆100gくらい
流し缶(13.5×15cm)、クッキングシート適宜

1)小さめのボールに白玉粉を入れて、分量の水のうち50ccくらいを少しずつ加えながら粒をつぶすように混ぜる。
2)別のボールに葛粉をいれ、残りの水加え、砂糖、溶いた白玉粉を入れたらひとかきまぜし、小麦粉を加えてよく混ぜる。滑らかになったら漉しながら。シートを敷いた流し缶に入れる。その際、大2ほど生地を残しておく。
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3)よく湯気のたった蒸し器に、割り箸をはわせ、そこに流し缶を乗せて、ふたには布巾で水滴が落ちないようにして、強火で15分蒸し、いったん出して、甘納豆を乗せ、残しておいた生地をかけてさらに10分蒸す。
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4)冷ましてから8等分に三角にカットする。



レシピ&原稿:温石会 入江亮子
(北鎌倉たからの庭<旬を楽しむ精進料理> 6月の献立より)

2014/06/01

「鎌倉の匠シリーズ vol.1 - 鎌倉仏師 大森昭夫氏を訪ねて」

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鎌倉と仏像彫刻


鎌倉の地に花開き、時を超えて現代まで受け継がれてきた伝統工芸「鎌倉彫」は、多くの方に知られるところではありますが、この美しい工芸品は、禅の世界から生み出されたものだということはご存知でしょうか。

およそ800年の昔、この地に武士が新たに都を据え、育まれた風土のなかに禅の文化がありました。宋から伝わり届く律と戒を重んじる教えや文化は、武家の気風に合い、この新しい都には盛んに禅寺が建立され、多くの優れた技工・仏師が集まりました。これに、蒙古進来を逃れ来日した中国僧たちがもたらした宋風文化が相まって、鎌倉の地には京の都とは異なる独自の仏教美術が花開きます。こうして生まれた素晴しい仏像彫刻とともに、彼らが制作した卓や香合などの仏具の数々が、後の鎌倉彫への流れを作ったと言われています。ひとつの工芸の中に、鎌倉というこの土地と仏師たちの遥か彼方の結びつきと、その壮大な歴史が垣間みられるところに、鎌倉の古都としての存在感を感じずにはいられません。

そうした時代から遠く時を隔てて、仏像を制作するという事象そのものの機会が少なくなった現在、修復ではなく一から仏像を彫るという仕事に、会社組織でなく唯ひとりで向かい合っていらっしゃる方が鎌倉にお住まいなのだと聞き、ぜひにともとお話を伺う機会を頂きました。


長谷寺美術顧問の仏師・大森昭夫さんのお話です。


鎌倉の匠シリーズ - 鎌倉仏師・大森昭夫氏を訪ねて
<第1回> 大森氏の半生

大森氏の工房がある鎌倉市笛田を訪れました。ごくごく普通の住宅街にあるその工房は、云われないとそこが工房である事も、まして仏像が制作されている場である事など気付かぬような、然り気ない佇まいでした。迎えてくださった大森氏にお会いし、お話を伺った後、その然り気なさがどこから来ていたのか、それは、後から合点することとなります。

大森氏が生まれ育ったのは、山形県鶴岡市です。藤沢周平が出身地である故郷を舞台に、多くの小説に描いた城下町です。そしてまた、出羽三山で知られる修験道の地でもあります。身近を豊かな山林に囲まれ、そして偶然の巡り合わせでありながら、隣家には彫刻家が住まい、その庭先で木っ端や粘土で遊ぶのが日常であった大森氏は、自然に "木" という素材や "彫る" という作業への面白さや楽しさを知り、興味が育まれたと話します。長じて十八を迎える頃、大森氏はその隣人の友人で帰省中であった同郷の宮大工棟梁と出会います。この棟梁の工房では当時、曹洞宗大本山の総持寺(横浜市鶴見区)の仁王像の制作が予定されており、興味があるなら手伝わないかとの誘いを受け、氏は上京して仏像彫刻の世界へ入ることとなります。


働き始めて2年ほどは下働きで、ほとんどノミに触る時間を持つ事も出来なかったといいます。厳しい職人の世界で駆け出しの若造が全く相手にされなかったという苦労も想像に難くありません。特に、大仏建立などの大きなプロジェクトの場合、複数年に渡って多くの職人さんが集まる大事業となります。


− 鳶、土方、左官、大工、この道何十年というベテランの職人さんたちが集まる訳でしょう。彼らからしたら、若いのが何言ってんだって思うよね。それを束ねて、仕事を進めなくちゃならない。信頼して貰うしかないよね。認めて貰うために、そりゃもう必死で足場に上がり続けました。倍じゃ効かない、3倍以上はやらないと。そうやって彼らの力を借りて、それで仕事が成立するんです。


確かに仏像彫刻というと、仏師が独り、ノミを振るっている姿を想像してしまいがちですが、大仏ともなれば、7階建てくらいの建造物を造るのと同じスケールな訳ですから、話しの規模が違います。

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厳しい現場に脱落していく若輩も多い中、自分が続けていられたのは、そうした事も含めてすべて学んでいると思えたこと、何より仏さまを彫るということが、好きで好きで堪らなかったからですよ、と笑う大森氏。


数多くの仏像の修理や制作に携わってきた大森氏が、鎌倉と縁がつながるは40代に入った頃です。仏師としての腕をもっと磨きたいと、これまでの恵まれた環境を投げうって、独立された頃です。1992年長谷寺で、僧職にあった最後の仏師と言われる西村公朝氏が監修し為される、十一面観世音菩薩像の修理に大森氏も参画することになります。この縁を始まりに、そののち、阿弥陀堂丈六阿弥陀如来の大光背制作の依頼を受けたのを機に、居を鎌倉へ移され、1年ほどの間、来る日も来る日も山主(住職のこと)に呆れられるほど、光背の制作に没頭しました。近年、新たに建立された地蔵堂の地蔵菩薩も手掛けられ、現在は、ご自宅の工房で仏像彫刻の教室もされながら、長谷寺へ御納めする如意輪観世音菩薩の制作に取り組んでいらっしゃいます。


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<制作途中の像。奥の白い仏様が1/2スケールの見本型。手前のものが実寸>


数年前、そうして鎌倉で活動されている姿がテレビに流れたときがあります。独立のときもその後も、静かに "頑張れよ" といって送り出してくれたものの、鎌倉へは一度も立ち寄った機会のなかった工房の師匠から突然、電話がかかってきます。 " 声で君だと分かったよ。いやあ、独立してよかったね。作品がよくなったよ。" と。


ー はじめて、褒められた。ほんと、はじめて褒められたんです。それまではねえ、その人を先生と呼べるほどに自分がまだなってないなっていう気持ちがあって、とても呼べなかったけど、それでやっと自分のこころの中で先生と呼べるようになりましたねえ。目の前で会ったら、呼べないけどね、やっぱり。(笑


大森氏がこの電話を受けたのは、この道に入って20余年の月日が経っての事です。その長い年月の間、常に自分に未熟さを見い出し、たゆまず努力を続けるというのは、果てない修行のように思えます。


氏の歩んだ道を伺っていると、それはまるで木に呼ばれ木に招かれ、仏さまを彫り出す以外の道など無かったかのような、それが定であったかのように歩んだ先、惑わずやり続けた道のりが運んだ業であったのではないかと... 。

匠とよばれる人たちの "道" というのは、そういうものなのかもしれない。そう思わされるお話でした。





< rica >


*第2回は工房での実際の制作風景を交えながら、どのようにして仏像は作られていくのかをお伝えします。

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