2014年2月の記事一覧

2014/02/23

「3月11日は鶴岡八幡宮へ」

鎌倉では、毎年3月11日に>>「東日本大震災 追悼・復興祈願祭」が行われています。
これは、鎌倉の神道、仏教、キリスト教の三宗教が、宗教や宗派の違いを超えて、被災された方々のために心をひとつに祈りを捧げる祭事です。

1回目は、震災の1カ月後の4月11日に、鶴岡八幡宮で執行されました。

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震災が起こってすぐ、繰り返す余震と停電の中、
「祈りを捧げたい」という強い思いに突き動かされた鎌倉の宗教者たちが一つになって、三宗教合同の追悼・復興祈願祭が実現しました。
会場の鶴岡八幡宮には、約1万人の参列者が集まり、ともにお祈りをされました。


(youtube動画)


以来、毎年3月11日には、
三宗教が集まって、祈りの会が執り行われています。

震災1年後の2012年は、建長寺で。


(youtube動画)


昨年は、カトリック雪ノ下教会で。

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そして今年は再び、鶴岡八幡宮に戻って祈りを捧げることになりました。

3月11日、14時46分には、市内の寺院と教会の鐘が鳴ります。
八幡宮にいらっしゃれない方も、どうぞその時間はご一緒に黙祷をしてください。

そして、その夜は、
照明やテレビを消して、被災地に心をよせ、ローソクの灯りで心静かに過ごしてみてはいかがでしょうか。


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3.11 ローソクナイトのお誘い
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2011年3月11日
目の前が真っ暗になったあの日から、
私たちは小さな灯りを頼りに
歩いてきました。

祈りの場に灯されたローソクの火、
家や店の窓からこぼれる光や
夜空に浮かぶ星と月。
それから、
「こんにちは」
「元気ですか」
声をかけてくれる人の笑顔や、
「行ってきます」
「ただいま」
毎日の何気ない風景の中に
見つけたいくつもの輝きと、
あたたかい光。

明るい世界の中では
気づかなかった小さな灯りが、
心を照らしてくれました。

悲しい時、さみしくて辛い時
勇気をもって踏み出す時も、
小さな灯りが希望となって
これからもずっと、
あなたを守ってくれますように。

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2014/02/21

「建長寺 高井総長のお話が聞きたい!③」

『建長寺』高井正俊総長さまのお話、

>>第二回では「鎌倉仏教」についてのお話を伺いました。
鎌倉時代は、サムライの活躍によって"自分たちは力を持っている"と目覚めた民衆が「人間らしく」成長。仏教も浸透していった大事な時代だと‥
お話を伺っていて、なんだかワクワクしてきました。

さていよいよこの後お話は
建長寺の宗派である「禅」について、入っていきます。

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〜建長寺 高井和尚様のお話が聞きたい!③禅って何?の巻(②よりつづく)

ボンズくんチーム(以下B) 『日常生活』というのは、それまでなかったということですか?

高井和尚さま(以下T) そうです。朝起きたら顔を洗う、ご飯を食べる時はどうするか、などなど犬や猫と違う、"人間として"どういうふうに1日を過ごしたらよいのか、を「教え」として基礎を作ったのが禅宗です。

B 禅宗というのは、もとは中国で生まれた宗派ですよね。

T 禅宗のお寺の中の生活は、ある一定のルールで動いています。大事なのは、坐禅をすることではありません。一日一日をどういう風に過ごしていったら気持ちのいい生活ができますか?ということ。 
「日々是好日」、「一日作(な)さざれば一日食らわず」など 『過ごし方』が大事だと禅の言葉にも表れている。
長い意味では、禅宗は中国から伝わり、日本で確立しました。

B 武士たちに歓迎されて、育っていった‥

T 北条時頼さんが建長寺を作った時、  お寺の内側は中国だったといわれています。 中国語をしゃべっていた。中国そのままのやり方で。
東福寺(奈良)の開山など、貴族の間でも最初に禅を導入して理解ある貴族が支持したのは、日本にはなかった「新しい生き方」を定着させたかったから。その基地がお寺でした。
学問、医学、音楽も。お寺の中で熟成される。
日本中から学びにくる。お金のある人たち、日本のエリート。 地方のサムライの次男など、建長寺に行って勉強しよう〜と。 ゆくゆくはリーダーを養成する場所でした。

B 建長寺も大学のような場だったですね。

T清規(しんぎ)」という言葉があるのですが、 一日のルールを決めたものです。
「暮らし方」を文章にして、ルール集を作って教えていく。

B 清規‥知らなかった言葉です。

T 坐禅の仕方は本にまとめられて「坐禅儀(ざぜんぎ)」といいます。
生活は「清規」。清規をもとにしてお寺で生活していきます。  そして学んだものを地方へ持って帰ったことで、日本人の精神、生活文化が上がっていった。

B なるほど

T 諸国に禅宗が広がった意味はここにあるかもしれません。
禅宗は、あまりお経のことは言いません。身をもって体得していくことが支持されました。
他の宗派だと、例えば日蓮宗は法華経をとても大事にしています。 法華経はフルパワーを身につけるというもので、人を元気づける。


写真(建長寺、国宝の梵鐘)

B 禅宗は、坐禅をして‥

T 「坐禅」なんて、面白かったと思いますよ。誰でもできる。
特に曹洞宗はもっぱら坐禅。

B 武士たちに歓迎されて立派なお寺も作られた禅ですが、鎌倉時代の後は幕府の場所も移っていったので、江戸時代などは、鎌倉はさびれていたのでしょうか?

T 明治時代以降、江戸時代というのは否定されがち(=何もしてくれなかったというイメージ)ですけれど、実際は建長寺の山門を新しくしたのも、お地蔵さまの建物も、建長寺復興してくれたのは江戸幕府です。

B 徳川幕府の力は鎌倉にも‥

T 幕府は八幡さまのためにも随分尽くしていました。
東慶寺にも。(*徳川秀忠の娘千姫が伽藍を再建したり、その養女が入山して縁切り法を確立させたりしています) 建長寺の唐門は江(ごう)の(霊屋みたまやの門として増上寺に建立されたもの)。
臨済宗の僧侶、大覚禅師の大覚派、金地院崇伝(こんちいんすうでん)は、徳川の知恵袋として活躍しましたね。

B お寺のお話からはちょっと離れるのですが、 江戸時代に花開いた歌舞伎は鎌倉と縁が深く、 鎌倉時代が描かれていることも、場面で鎌倉が登場することも多いですね。
弁天小僧の「知らざあ〜」のセリフは雪ノ下(浜松屋の場)で。 弁天小僧が走り回った屋根は、極楽寺(極楽寺山門の場)、最後の白波五人男が勢揃いする場面は稲瀬川(稲瀬川勢揃いの場)。

T 歌舞伎に鎌倉時代がよく登場するというのは、当時の江戸時代を舞台にして描くと、生々しくなってしまうということがあったのでしょうね。
それから江戸時代の鎌倉は、江ノ島を代表としてレジャーとして、旅に来たりお詣りしたりする場所になって賑わっていた。舞台設定として多くの人の関心を惹き付けたと思います。

B 江戸時代も、鎌倉は人がたくさん訪れる場所だったのですね。

T 鎌倉というのは、何となく人が来る〜と思いきや、 何となく人が来るのではなく、「吸引力」があるからではないでしょうか。これは今も変わらないことだと思います。

B『鎌倉の吸引力』
鎌倉のことを考える時に、キーワードになりそうですね。

T あ、それから最近ちょっと気になっていること。鎌倉には年間1800万人の人が来る。強力な地場(磁場)があるけれど、 鎌倉はそもそも『原点』だったんです。
鎌倉武士が結集して、ここから日本全国に散って行った。日本国中のふるさとだった。いろいろな時代があって、目に見えなくなっているけれど、皆サムライのルーツは鎌倉にあります。
だから、ご先祖さまを辿ると鎌倉を向いている。道もそう。 鎌倉街道。人がそこを通ってつながっています。地方の守護・地頭は、鎌倉から派遣されました。
建長寺、円覚寺はお寺の本山で、修行道場。地方に展開しています。みんな鎌倉とつながっている。現在形でも日本中、全国とつながっている。
例えば、別所というところは「信州の鎌倉」と呼ばれます。 これは雰囲気だけのことではなく、温泉を開いたのは北条氏だから(時宗に近い人が行っている)です。
鎌倉の吸引力は、ただの風光明媚ではない。

B『鎌倉の吸引力』の源は‥

T 人を吸い寄せる"魔力"ではなく、文化的歴史的根拠があるはずです。
表立っていわれていないけれど、実はそう。 そして今でも、大事なものを発信していると思っています。 磁力は衰えているかもしれないけれど、
こういう考え方は大事にしておいた方がいいのかなと。

B 「いざ鎌倉に根拠あり!」ですね。

〜そんな風に声にしてみると、またワクワクしてきます。伺いたいことはまだまだ尽きないけれど、 そろそろお時間も予定をオーバーしてきました。〜

B では最後に...高井和尚さまの夢はありますか?
T ないない(笑)、「なるようになる」

〜最後に『禅』の悟りのような言葉をいただき
余韻を残しながらお開きとなりました。
高井和尚さま、どうもありがとうございました!!〜


最後にボンズくんと高井総長さまの2ショット写真撮影。
そして全員で記念撮影。お土産に、建長寺の本をいただきました。玄関に向かうと、そこには吉田管長さまが。
すかさず吉田管長さまとボンズくんの2ショット写真を撮らせていただきました。

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来た時には降っていた雨がもう上がり、陽が差して清々しい境内です。

高井総長さまと吉田管長さまに見送っていただくというなんとも贅沢をさせていただきながら、建長寺を後にしました。)

2014/02/15

「2月の鎌倉 〜3.11へ向けて」

この冬は雪に泣かされている鎌倉です。
2/8土曜に降った大雪は45年ぶりとも言われ、
鉄道も道路も雪に埋もれ、一部停電もあったりして、
街の機能が麻痺してしまいました。

こりゃまいったと思ったら、
翌14金バレンタインにも、それを上回るような大雪。
2週続けての雪かきに「勘弁して〜」の声も。

お寺のモノトーンの雪景色は最高にキレイなんですけどね。

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(円覚寺 H26年2月14日 とくいかよさん撮影)


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(浄智寺 H26年2月14日 とくいかよさん撮影)


そんな中、鎌倉では、来月の3月11日を迎える準備が着々と進んでいます。
3年前の東日本大震災を追悼し、復興を祈願する三宗教合同の祈りの会が、
今年は再び鶴岡八幡宮で執り行われます。

鎌倉は、あの日、あの夜、停電の暗闇の中で不安な時を過ごしました。
3月11日の夜は、その時のことを思い出して心静かに過ごしていただきたいと、
鎌倉宗教者会議では「ローソクナイト」のご提案をしています。

そのひとつのきっかけになれば、ということで、
カトリック雪ノ下教会で、復興祈願祭のマーク入りローソクづくりが行われ、
ボンズくんスタッフ一同が参加してきました。

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このローソクは、鎌倉宮でお祓い、鎌倉恩寵教会で祝福、円覚寺の僧堂でご祈祷を受けた「特別祈願ローソク」として、
鎌倉宮、建長寺、円覚寺、カトリック雪ノ下教会の売店、および井上蒲鉾店鎌倉駅前店で2月20日から販売されます(1個500円)
 ※詳しくは、>>復興祈願祭のサイト


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3月11日の夜は、ボンズくんもローソクで静かにお祈りしたいと思います。

(kayo)

2014/02/13

「如月の精進料理」

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二月は如月とも申しますが、衣を更に着ることからきているとの説もあるほど、1年で一番寒い季節ですね。一方では少しずつ蕗の薹やタラの芽など静かに春を待ちつつ、芽吹きも感じられる季節です。行事ではまず節分ですね。そして初午。二月最初の午の日は1年で最も気が高まるそうで、各地のお稲荷さんでは五穀豊穣・商売繁盛のお祭りがあります。茶道の世界では寒いこの季節、夜話の茶事が多く行われていることでしょう。
そんなことから、今月の献立はまず炒り大豆を使ったご飯にしました。また温向としても使える風呂吹き大根、雪の合間からの芽吹きをイメージして蕗の薹の酒粕醍醐和え、胡桃のコクとりんごの酸味、春菊の香りが一体となった和え物、そして根菜類一杯の鎌倉といえばこれ!な建長汁などを皆様とつくりました。春遠からじ・・・を食で感じてくだされば幸いです。

1.豆飯 2.けんちん汁 3.春菊と林檎の胡桃和え 4.ふろふき大根 5.蕗の薹の酒粕醍醐和え


1.豆飯
大阪の廣田家さんでいただいて美味しかったので、自分でレシピを作りました。ほんのりとした塩味と炒った大豆の香ばしさと甘さがたまらないご飯です。大豆に対しての水加減はいりません。お米に対して20%増しで考えて作ってください。節分で余ったお豆を使うなら炒る必要もありませんね。

材料:米2.5C、大豆1/4~1/3C、塩小1/2、酒大1、水出汁585CC

1)大豆はさっと洗って水分をふきとったら、身が割れるくらいまで鍋で乾煎りする。
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2)米は洗って1と一緒に水加減し、調味して、1が温かいうちに入れて炊いていく。
3)炊きあがったら10分置いて天地返し、盛り付ける。


2.けんちん汁
鎌倉で精進料理といえば、これ!ですね。建長汁とも書き、神奈川の郷土料理100撰にもなっています。大事なのは豆腐の水切り。これができていないと汁がにごってしまいます。使用する油も香ばしいごま油がよろしいでしょう。豆腐からまず炒ってぽろぽろになったところでほかの材料をわっと入れます。今回は風呂吹きで大根を使ったのではずしましたが大根なども入れるといいですね。具沢山でまさに食べるスープ!栄養満点ですよ。

木綿豆腐1丁、里芋(小)3個、牛蒡1/2本、人参30g、蒟蒻1/3枚、干し椎茸3枚、ごま油適宜、昆布出汁+干し椎茸の戻し汁5C、醤油大1.5~2、酒大1

1)豆腐はしっかり水切りしておく。
2)里芋は皮をむいて食べやすい大きさに切っておく。
3)牛蒡は笹がいて水に放っておく。
4)人参は薄い銀杏きりにしておく。
5)干ししいたけは水で戻してスライスしておく。
6)蒟蒻は短冊に切って、ゆでておく。
7)鍋にごま油を敷き豆腐をほぐしながらいため、ついでほかの材料を入れて油をなじませたら、昆布出汁ともどじ汁を加えて強火にかける。
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8)途中アクが出てくるので引き、火を弱めて材料がやわらかくなったら調味をし、椀に盛る。


3.春菊と林檎の胡桃和え
この料理は四半世紀前、江戸懐石を習いはじめたときに教えていただいた料理です。もともとのレシピは胡桃を茹でて薄皮を取るということになっておりますが、その手間たるや非常に難儀なので、自分なりに変えております。胡桃の皮なしを買われるのが一番いいのですが、皮つきでも皮の渋さは揚げることによって中和されますので、大丈夫です。大事なのは春菊も林檎も水分の多いものなので、たべる直前に和えること。また春菊をゆでるのに塩を入れる入れないはたいした問題ではなく、大事なのは色止めです。必ず冷水を用意し、茹で上がったらすぐに冷やしましょう。

春菊1/2把、林檎1/4個、皮なし胡桃20g、醤油・砂糖各大2/3、揚げ油適宜

1)林檎は皮付のままくし型に切って芯をとり、5mmくらいの薄切りしにてからマッチ棒に切って塩水に放っておく。
2)春菊は茹でて、水にさらして色止めし、まきすに巻いて搾り、3cmくらいに切ってからさらに軽くしぼり、揚げてからあたって調味した胡桃衣と和える。
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4.ふろふき大根
まさに今もっとも旬なお野菜、大根の魅力全開な料理です。冬の茶事などで温向として出されることもあります。米のとぎ汁で竹串がすっと入るまで十分ゆでることが肝心です。最低でも40分程度はかかりますので、気長に茹でてください。そのあと、昆布のお味を温めながら入れていきます。練り味噌は多めに作って冷蔵庫で保存して田楽やぬたなど色々な料理にお使いください。市販のものより一味も二味も違いますし、なにより添加物の心配もなく安全で安心です。

大根各3~4cm、米のとぎ汁適宜、昆布5cm、塩少々、銀杏各1.5個、柚子少々、
練り味噌:赤味噌70g、砂糖60g、酒大2

1)大根は皮厚めにむき、面取りし、裏に十字の隠し包丁をいれ、たっぷりの米のとぎ汁に入れ、細串が通るようになるまでゆでる。
2)1を水でよく洗い、調理するまで水にとっておく。
3)銀杏は殻を割って、玉じゃくしで転がしながら薄皮がむけるまでゆで、1/2に切っておく。
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4)練味噌の材料を入れ、丘まぜしてから火にかけ、艶がでるまで軽くねる。
5)大根が被るくらいの水に昆布を敷き、大根を温める。
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6)温めた器に大根を置いて、上に練り味噌を乗せ、柚子をあられに切ったものをふり、少し汁を張ってだす。


5.蕗の薹の酒粕醍醐和え
出始めの蕗の薹を使ってクリームチーズと酒粕の衣で和えました。醍醐とはチーズのことです。精進料理では乳製品は使っていいことになっています。それは厳しい修行で死に掛けた釈迦がスジャータの乳粥によって救われたことからきているといわれています。また直接殺生をしていないものだからとも言われています。どちらにしろ、乳製品を加えますと味わいにボリュームもでていいですね。蕗の薹の苦味もチーズの油脂でマスキングされ、食べやすくなります。この衣だけ作っておき、残ったキンピラや干しトマト、オリーブなど、お好きな具で色々と楽しんでください。とてもよいお酒のつまみにもなりますよ。

酒粕100g、クリームチーズ50g、煮きり酒大2程度、蕗の薹3個(重曹みみかき1杯)、砂糖小1、塩少々、京人参10g、昆布出汁1/4C、淡口・味醂少々
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1)蕗の薹は軸をとって、たて1/2にして水にさらしてから、熱湯に重曹を加え1分半ほどゆで、水にとる。1/2個を4等分に櫛に切る。
2)京人参は霰(アラレ)に切って昆布出汁と淡口・味醂でさっと煮ておく。
3)酒粕とクリームチーズをよく混ぜ合わせ、調味し1、2をまぜあわせる。
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レシピ&原稿:温石会 入江亮子
(北鎌倉たからの庭<旬を楽しむ精進料理> 2月の献立より)

2014/02/11

「清右衛門のみちくさノート 2月号」

『今月のテーマ:探春のススメ』


立春。
春が立つと書きますが、植物などというものを生業としていますと、なるほど、春ってなあ立つもんだと思って、昔の人の言葉の選び方に感心しきりです。
そう、立つ。ごろんと横になっていたものが、そろそろ朝か、いよいよ起きねばならぬ、まだ体が重いな、いやいやしかし、と逡巡している感じは、我がことのようであり、春により親しみが湧きます。
春は秋のころから密かに準備を進めていて、やっぱり密かに、そろそろと立ち上がろうとして、ぐずぐずとしている...やたらに暖かな日があったと思えば、突如として凍てつく寒さが襲うようなことを繰り返して春になっていきます。

ですからこの時期の春は、目を凝らして見いださない限り、目の前に立ちはだかってはくれません。さよう、立春のころの春とは探すものなのです。


その代表格はなんといっても春の七草でしょう。新暦の七草はまだ時期が早く、草摘みをしようにもくすんだ色をしていたり、地面にへばりついたりしていて、摘むのに少し骨が折れます。七草は旧暦の日取りで探す方が理にかなっているのです。

このごろの草どもは、立春の言葉通りに柔らかな新しい葉や芽ですくと立ち上がろうとしています。せっかく立とうというのを摘むのは殺生なことですが、残らず摘むわけではありませんから勘弁してもらいましょう。こののち4月の後半ごろになり、草がしっかり固くなるまでが草摘みにもっとも適した季節です。七草粥に限らず、お味噌汁の彩りに、おひたしにと、ちょっと青いものが欲しいとき重宝します。

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ほとけのざ(コオニタビラコ) キク科 Lapsana apogonoides
※写真は3月下旬のようす


七草の調和のとれたところは、例えば道端をいくら眺めていてもすべては手に入らないというところです。それは不便といえば不便ですが、一つの場所で一つのものばかり摂ることよりも、少しずついろいろなものを摂ることのほうが身体の調和のためによいのです。
七草のうち、「せり」(セリ)、「ほとけのざ」(コオニタビラコ)は田んぼでないと摘めず、「ごぎょう」(ハハコグサ)、「なずな」(ナズナ)は乾いた畑でないと摘めず、「はこべら」(ハコベ)は湿った畦道に生える、というように、それぞれ生える場所が異なります。
言い換えれば、そういうさまざまな場所が含まれる調和のとれた場所ではじめて七草粥を作ることができます。
※ 「すずな」(カブ)、「すずしろ」(ダイコン)は作物です。


鎌倉で七草粥を作るのは、じつはけっこう骨です。畑や田んぼがほとんどない上に、あったとしても七草が生えているとはかぎりません。
以前、決心をして鎌倉だけで七草を探して七草粥を作ろうとしたことがありました。「すずな」と「すずしろ」はお店で買い、「せり」と「はこべら」は谷戸の湿った場所で見つけました。しかし、残りの3つはなかなか見つからず、いろいろな方の厚意でわずかに一株ずつ摘むことができました。というわけで、鎌倉で七草を摘もうという方は、「なずな」と「ほとけのざ」と「ごぎょう」抜きを覚悟せねばなりません。代わりにミツバやタネツケバナを入れたり、ご自分で小松菜など野菜を作って代用したりするのがいいようです。ないものを探すよりも、その土地で生えるものを摘むのが七草の本質に沿っています。

もうひとつ春を探すと言えば、「探梅」という言葉あります。俳句の季語で、まだ寒い中に梅を求めて歩くさまを示します。紅葉狩りとか、お花見と同じような感じもしますが、それらが満開を楽しむことであるのに対して探梅は「咲くか咲かないか」を探すという点で大きく異なっています。そのため、ちょっとだけ、奥ゆかしくて、満開ではないものを探して歩くというあたり、なんだか人生みたいな感じもする言葉です。

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ウメ バラ科 Prunus mume (荏柄天神にて)


この文章を考えていたら、鎌倉は20年に一度、人によったら40年に一度と言うような大雪に見舞われ、まちは雪国のような吹雪に包まれました。雪というと閉じこもっていることが多いのですが、このたびは意を決して雪見に出かけました。すると、思いのほか暖かく、踏む雪の音も鈍い音程で、軽やかに歩みが進み、すっかり人気のない八幡宮やら鎌倉宮やらを馳せ回り、大いに堪能したのでした。


どちらかと言えば雪と聞くと祖父の出た会津や、盛岡の厳しい凍てついた雪を思い起こします。踏めば甲高い音を立ててきゅっきゅっと鳴り、軒先から風に乗って散って行き、空は鉛色に閉ざされているような雪です。遠くにそびえる岩手山や安達太良山や、その他いくつもの東北の山々を思い出し、吹き渡る風を思い出します。それに比べ、鎌倉の雪は、暖かく、明るい光に溢れていました。


吹雪のなか、いくつもいくつも梅に、蝋梅に、椿を見つけました。椿は自生のものですが、梅や蝋梅は中国の生まれ。美しい庭が数多くある鎌倉には欠かすことのできない花です。吹雪のなか、びっしりと針のような雪の結晶をまとって、芳しい匂いを放っていました。蝋梅に至っては、普段と同じように、少し離れた場所でも香りを感じるほどです。おかげで風邪を引きそうですが、これはなかなか贅沢だな、という気がしています。

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ロウバイ ロウバイ科 Chimonanthus praecox


七草のもととなった「草摘み」は平安時代の貴族の風習で、もちろん、庶民もまた草を摘んで食べていたのでしょうが、庶民の日常を改めて季節の行事として取り入れるのが日本の貴族の習いです。「探梅」もまた、日常とは異なる側面を持った行為です。
誰しも放っておけば、日常に埋没していってしまうものですが、それに抗うかのように、伝統行事は「立ち止まってみては?」「探してみたら?」と問いかけてきます。恐らく先人たちは、日常に埋没することで生まれる倦怠感の毒について知り尽くしていたのに違いありません。
例えば、春を探しに出かけて得られるものが、季節限定のお菓子であったとしても、それが打ち込む楔はきっと、微動だにしないように思われた日常を動かす力になってくれることでしょう。というわけで、まだまだ蒲団のなかでぐずぐずしている春の、襟首をひっ掴んで立ち上がらせに、出かけましょう。


次回はたぶん、スミレについて

(清右衛門)

2014/02/04

「笹寿司社長 永田節子さん」

若宮大路から小町通りに抜ける路地を入ったところに押し寿司の販売店、笹寿司があります。 鎌倉だけでなく、遠方からのファンも多い笹寿司ですが、元々は「魚辰」という魚屋さんだったそうです。
「魚屋に嫁いだのは良いけれど、子供達に継がせるのはねぇ、大変だと思ったんですよね。」 永田節子社長自ら金沢へ赴き、修業を経て、笹寿司として開業、昨年の11月28日で40周年を迎えました。

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「ご近所の方々や作家の大佛(おさらぎ)さん、洋画好きだった主人が仲良くさせて頂いた川喜多さん等のご紹介のお陰で評判が広がり、無事40周年を迎えることができました。」 と開業当時を振り返る社長、寿司作りを今では職人さんやご家族に任せていますが、週に数日はお店番をしています。
「私の目が黒いうちはこの店を任せきりにはできないからね!」まだまだ現役社長の貫録です。

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笹寿司はその名の通り笹の葉に包まれています。寿司ネタは鯛とさけの2種類。昆布で締めたネタと酢飯がさっぱりとした、見た目も美しい押し寿司です。お茶会等にも喜ばれる一品です。

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取材に伺った日は東京からの観光の方が「鎌倉に来ると必ず笹寿司をお土産に買って帰るんです。でも来てすぐに買わないと午後には完売してしまうんですよ。」と出来あがるのを楽しみにお待ちでした。
最近では台湾、韓国、中国の若い観光客が店先でお寿司を頬張る姿も増えたそうです。きっと、ガイドブックにも載っているんでしょうね。
11時オープンの笹寿司では売り切れ御免!ということで、大抵午後は閉まっています。食べたい方はお早めに!

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目まぐるしく変化する鎌倉の店舗。変らないあたたかさを感じる笹寿司です。
永田社長、ありがとうございました。


鎌倉市小町2-12-22 笹寿し
0467-25-3344

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